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Beethoven : Moonlight, Appassionata, Pathetique / Gould

Beethoven : Piano sonata
No.8 C mol op.13 "Pathetique"
No.14 Cis mol op.27-2 "Moonlight"
No.23 F mol op.57 "Appassionata"

Glenn Gould (piano)

Columbia MS7413 / SONY CLASSICAL 88697130942-35


 今更といえば今更ですが、グールドの全集ものをApple Musicに取り込んでいます。取り込みながら久々に改めて聞いたりしているのですが、今、グールドってどんな風に聞かれているんでしょうね。
 パッケージソフトで音楽を聴くのが当たり前、という人はどんどん減っているのでしょうけれど、パッケージソフトは一種のヒエラルキーに則って成立していた面もある訳で、そのヒエラルキーがどんどん溶解していって、というのは既に輸入CDが当たり前に入るようになってきた30年くらい前からあった話だけれど、今では一体どんな風に見えているんでしょうね。スーパーフラットどころか俯瞰することも叶わないのが今なのか、そういう中で、皆どういうところでどんな風に情報を得て、何を羅針盤にして音楽を聞いているのか、その中でグールドなんかはどんな風に見えていて、どんな風に聞かれているのでしょうね。単に私が時代に取り残されただけで、どこかではそんなこともなく活発にあれこれ情報交換が活発に行われていたりするのか.....よくわかんないな.......

 今更ながらグレン・グールドという話。改めて聞くと、グールドというのは確かに異形であったのだな、というのは分かるけれど、「これはグレン・グールドの演奏だ」と認識せずに、それこそスーパーーフラットで聞いたとして、どうなるのか。皆が言うほど感心するものなのかしら、ね。なんだこれは、って言い出す人も少なくないんじゃないだろうか。と同時に、このCDではないけれど、やはり全集の中に入ってる、op.109, 110, 111の最後のソナタの録音など聞くと、なるほどこの人は相当の手練れだったのだな、というのはとてもよくわかります。これだけ弾けるのなら、そりゃぁ、余程ヘンテコなレパートリーでも聞く人は少なくなかったろう、と思う程度には、高度な演奏だなと思います。
 一方で、こちらの、"悲愴" "月光" "熱情" の、いわゆる「三大ソナタ」の録音となると、どちらかというと異形な様が先に立つ感じ。これを書いている今は"熱情"の第2楽章を聞いていたけれど、いやそんなにゆっくりなの?と思うくらい。いちいちこちらの「常識」に引っ掛かるような演奏。でも、今時は、そういう演奏自体はそれほどずば抜けて異形というほどでなく、そのくらいの演奏は他にもあるよね、という程度かと。いや、それはそれでいいと思うんですけれどね。むしろ、グールドが(いや同じような異形の演奏を繰り広げた人々もなんだけれど)そうした"異形"のものを受け入れられるように切り開いてきた面もあるので、そういう意味では本末転倒なんですが。
 ただ、そうした「特殊なイロモノ」扱いであるが故に、敢えてそう言うなら、あれこれに「利用」されてきたグールドも、そろそろそうした視線から解放されて受容される時代、なのかも知れません。んなこともないか......?









Beethoven Songs and Folksongs Bostridge/Pappano

 Beethoven : Songs and Folksongs

 Ian Bostridge (tenor)
 Antonio Pappano (piano)
 Vilde Frang (violin)
 Nicolas Altstaedt (cello)

 Warner Classics 0190295276430

 とんでもない年になってしまった2020年は、クラシック業界的にはベートーヴェン・イヤーだったんですよね。生誕250年。あちこちでベートーヴェン企画がいろいろあった筈なのですが、ドイツもオーストリアも殆ど吹っ飛んでる感じなのではないかと。そうは言っても、生演奏の方は吹っ飛んでも、仕込んであった企画ものは出てくる訳です。ただ、まぁ、それどころではないし、こちらもいろいろ吹っ飛んでるんだろうなとは思うのですが。
 で、吹っ飛ばなかった内の一つがこちらなのでしょう。ボストリッジがパッパーノと組んで録音した、ベートーヴェン歌曲集。録音は2019年10月のようなので、まさに仕込んでおいたもの、でしょうかね。

 今、2020年現在、ボストリッジはドイツ歌曲歌いとしては当代随一、になるのでしょうか。個人的にボストリッジは好きだし、何度も聞いているけれど、本来のリート歌いとしては、例えばゲルネとかの方が本流じゃないかな、という気はしないでもないです。そんなに偉そうに言えるわけではないけれど、やはり、イギリス人のボストリッジには、若干癖があるように思います。英語なまりと言ってもいいのか。私なんかは、正直言うと、むしろそれ故か、ある種クリアな響きと相俟って、結構好きではあったりするのですが。もう20年近く前にホーエネムスのシューベルティアーデで聞いた水車屋が強烈に印象的だったのが初めてでしたが、あれは本当に忘れられない演奏でしたっけ。多分ドイツ語よりも英語に慣れている私の耳には相当聞きやすかったのかなと思うんですけれどね。
 で、そのボストリッジは、なので、実は英語の歌も結構歌っています。特にブリテンですね。ブリテンの歌曲の録音は、アルバムにして3枚くらいは出しているのではなかったかと。ただ、そんなに出している割に、ボストリッジはブリテンの"ブリテン諸島民謡編曲"はあまり歌わないんですね。うん。ややこしい。ブリテン諸島というのはつまりはイングランドとかスコットランドとかウェールズとかアイルランドの民謡で、これはかなりの量あるのですが、ボストリッジは、殆ど録音してないんですね。
 まぁ、気持ちは分かります。民謡編曲ですからね。あまり皆取り上げる訳ではないし。ただ、ブリテンの編曲は、例えばハイドンやベートーヴェンの編曲に比べると、かなり「ブリテンらしさ」に満ちていて、私は個人的には好きなのですが、まぁとにかく大変。でも、ボストリッジは歌わない。録音であるのはO, Waly Waly くらいじゃなかったかな?

 そう、ベートーヴェンは、実は、ブリテン諸島民謡の編曲を結構出しています。これもあまり取り上げられない、というのはブリテンに比べると尚更「編曲しました」感が強いので、正直あまり面白くないのですが、これを、ボストリッジが録音している。へ?なんで?という感じなんですね。
 まぁ、確かにベートーヴェンの歌曲は決して多くはなくて、むしろこの種の編曲ものの方が多いかも、というくらいなので、アルバムを組むに当たってそれらを取り上げるのは決して悪くはないアイディアではあります。でも、ブリテンであまり取り上げないのに.... やはり企画ものだから、ということ?そうかも知れないですけれどね。

 全体の選曲は、まぁまぁ。「遥かなる恋人に寄す」があって、アデライーデとかIch liebe dichとか、全26曲中、民謡編曲が8曲。
 まぁ、確かに、面白くはあります。いや、正直言うと、ベートーヴェンの歌曲は、ちょっと退屈な部分はあるんですよね。リーとの世界ではやはりシューベルトがいますから。どっちが偉大だとか言い出すとキリがないし、大抵は「ベートーヴェン」って言うでしょうけれども、稀代のメロディメーカー・シューベルトのリートのバリエーションとキャッチーさはとてもとてもベートーヴェンでは太刀打ち出来ない。そういう意味では、悪くはないけれども間が保たないベートーヴェンの中で、民謡編曲から選んで入れている訳ですが、なんていうんでしょうね、確かに、こっちの方が、オリジナルな歌曲に比べると、作り込んでない、といった意味で、自由な感じがあります。それは確かにボストリッジの表現力の強い歌い方には合っていると思います。水を得た魚、なのでしょうか。

 まだそんなに聞き込んではいないので、どうしてこうなのか、というのはこれから考えることになるのでしょうけれど。






100 Jahre Salzburg Festspiele The official Anniversary Edition

 Deutsche Grammophon 00289 483 8722 58CD

 最近はCDのデフレ傾向が著しくて、ちょっと古い録音は大抵まとめて箱で出てきます。
 何かのイベントもので箱になって出るものも多いので、自然、こういうボックスものが増えます。

 今年、2020年はザルツブルク音楽祭100周年でした。今年もやるにはやったんですが、例年の7月からではなくて、8月一ヶ月間のみ、プログラムも出演者も大幅縮小。いや、そもそも、日本からは行けませんでしたからね。向こうに住んでりゃ行けたかも知れませんが、日本からはとても無理........でも、音楽祭は、ともかくやった。100年目です。
 というわけで、それを記念してのボックスがドイツ・グラモフォンから出ている訳です。CD58枚組。ちょっと前なら58枚組なんてとんでもない数ですが、最近では驚くほどでもありません。
 内訳は、オペラが32枚、オーケストラ中心にコンサートが19枚、リサイタル、というのはピアノですが、これが5枚、2枚はボーナスとしてありますが、Jedermannの録音と、ベルンハルト・パウムガルトナーのインタビューもの、なのか。圧倒的にオペラがメインです。1947年のベーム指揮のアラベラから、2016年のムーティ指揮ウィーン・フィルのブルックナーとR・シュトラウスまで。
 ザルツブルク音楽祭の記録、ということですから、どうしても偏りはあるのですけれども、それにしてもオペラがやはり多い。そして、結構昔から聞いてるものも多い(苦笑)けれども、やはり見事なラインナップではあります。とはいえ、例えば自分はこの10年ほど毎年行っているのですが、1ヶ月半ほどの期間中1週間も居なくて、それでも結構いろいろ聞いているけれど、この中には殆ど入ってないんですよね。ムーティのコンサートくらい。大体平均して1日に2公演くらい聞けるのがザルツブルクなので、結構聞いてるし、皆それなりに粒は揃ってるんですけれども、それでもこういうところにはまぁ入ってこない。層の厚さを改めて感じますけれど、一方で、最近の公演で100周年を記念して是非入れたい、というのが決して多くはないとも言えるのかも知れず。それがまた歴史ということなのかも知れないですが。


3年振りの再復活.....

 なんじゃそりゃ、って話なんですけれどね。

 3年前に復活した時以上に、はて、どうしたものかという感じではあるのですが....
 その時に「もうCDは売れなくなってるんじゃないか」という話を書いたのだけれども、なんでも、北米では、ここ最近ついにレコードの売り上げの方がCDの売り上げを上回った、なんという話すらあるそうで.....

 もう散々言われていることですが、今年始めからの新型コロナウイルス禍で、大幅にいろんなことが変わってしまいました。一番大きいのは、生演奏が聞けなくなったこと。2月下旬以降、殆どのコンサートは出演者の国内外を問わず一旦中止。緊急事態宣言が3月、解除になったのが5月。本格的なコンサートが再開したのは6月ですが、これを書いている9月時点で、来月くらいからはクラシックのコンサートなら満席でもいい、という話も出ているらしいですが、現状売られているコンサートは皆ホール定員の半分くらいになるように調整して売っています。
 そして来日ものは事実上全滅.....11月にウィーン・フィルが来るんですけれどね。どうなるのかな。今時点ではまだキャンセルとは言ってないですが....

 正直、この3年もそうですが、その前も、かなり気持ち的には生演奏にシフトしていた部分はあります。録音を聞かないわけではないんだけれど、あまり一生懸命に聞いているというのでもなかったし、あまりにCDの類が出過ぎて、ちょっといろいろ諦めてたというのはあります。
 で、実は、コロナ禍で凄く聞くようになったかというと、これがそうでもないんですよね。聞かないわけではないんですよ。多少は増えてるとも思います。でも......それほどじゃないんですよね。
 まぁ、考えてみれば、クラシック音楽聴き始めて30年以上、飽きなきゃおかしいって話でもありますが、飽きたというのとは違うかなと。ただ、良くも悪くも興味が発散してるのは間違いないと思います。クラシック音楽の中でも、30年前に比べると、アクセス出来る音楽は格段に増えました。それなら興味も尽きないかというと、まぁ、それほどでもないかな........
 結局、新たに掘り起こされるものが皆素晴らしいという訳でもなければ、演奏が優れているという訳でもないんですよね。まぁ、聞いてみるのはいいんだけれど、人間、肉体的な限界というのはありますし.随分いろんなものを聞いてきた結果、無きゃないでどうにかなる、といったようなところでしょうか。
 で、そうなってくると、30年前とは言わないのだけれど、あれやこれやの録音が思い出されてくるのですね。歌手で言えばタリアヴィーニとか、ベルゴンツィとか、思い出すというのではないけれど、グルベローヴァも殆ど引退してしまったし。カレーラスはまだ来るけれど往年のようではないし、ドミンゴはもう難しかろう、勿論パヴァロッティは鬼籍に入って久しいし。そういう人達を熱心に聞いていたのは、20年くらい前ですかねぇ。グルベローヴァは今でも熱心に聞くけれど。
 一方で、その頃聞いていた録音が、いつの間にか手に入らなくなっていたりするのですね。これも、3年前に書いてたような気はするのだけれど、ただ、その頃よりもっと本格的に「これはやばいんじゃないだろうか」と思い始めているのは確かです。オンラインで音楽を聞くこと、パッケージの形でやりとりしないことがより加速している、その流れがこのコロナ下で更に顕著になっている気はします。それが、単にパッケージがどうこう、というレベルでなく、どんどん埋没していくようになっていると思います。大体が、このようなブログという形式自体もう殆ど化石になっているのではないかと思うし。

 もう一つ、これも書いておいていいかなと思うのは、「音楽評論」というものがどんどん影が薄くなっているんですよね。
 吉田秀和も黒田恭一ももう亡くなって久しいけれど、その後を追うような、「読んで聞きたくなる」ような人は本当に居なくなってしまった。誰もいないとは言わないけれど、そもそも、今音楽を積極的に聞いているような人達は、何かを読んで聞くというようなことをしているものなのか、どうか。何某かはあると思うんですけれどね。音楽の友だってレコード芸術だって、まだ売られているし。FacebookやTwitterのグループとか、何某かはあって、私がそういうところに到達していないだけだろうとは思うんですけれどもね。
 でも、何もかもが平等、という耳障りのいい言葉でスーパーフラット化したところで、たまさかそこにあるものを聞く、みたいなのも、ちょっと嫌だな、と。

 まぁ、きっと、何年かに一度くらい、そんなふうに思うんですよ、きっと(笑)
 気が向いたら何か書くと思います。今度はどんだけ続くものやら.....

シューマン:交響曲第2番 / サヴァリッシュ

シューマン:交響曲第2番 ハ長調op.61
      序曲、スケルツォとフィナーレ op.52

ドレスデン国立管弦楽団
指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ
WPCS23249

 このブログをほったらかしてた7年の間に、ずいぶんいろいろ変わったものです。
 この録音は確かかつてEMIで出ていた筈で、そのEMIは2012年だかにユニバーサルに身売り、今ではEMIというレーベル自体2016年くらいにワーナーにほぼ置き換わってしまったという。だから、このCDにはワーナーのロゴが入っています。
 この録音を指揮したサヴァリッシュも2013年に亡くなりました。

 正直言うと、ここ最近は、ネットでもあまり上質な情報が取れないこともあって、あまり世間の評判とかいうものは聞いていません。はっきり言って疎い。ただ、それでも、例えば、サヴァリッシュの名声もかつてに比べると急速に薄れているのかなという気はします。確かに、サヴァリッシュは亡くなる暫く前から引退状態だったので、存在感は薄れていたとは思います。とはいえ、1980年代から2000年代前半にかけては、N響での指揮、バイエルンの引っ越し公演など、存在感は十分あったと思うのですけどね。むしろN響ではトップクラスとみなされていたのでは。

 この録音は、1972年のもの。ライナーではStaatskapelle Dresden となっているので、むしろ「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」と訳す方がしっくり来るのですが、1972年だとまだゼンパー・オーパーも修復されていない筈だし....いろいろあるんでしょう。きっと。
 自分がサヴァリッシュなんかをN響で聞いてた頃には、1972年録音と言われると、「おお!新しいじゃん!」という感じだったなぁと、今更ながら思い出します。最初に聞いたのは壁崩壊の前だったしね.....

 なんか昔話ばかりですが、それを言ったら、シューマンも今はあまり聞かれないのかなぁ、という気がしてます。
 最近のオケの演奏会でも、シューマンはあまり取り上げられないような。アマチュアでもそうなんですかね。マーラーだのブルックナーだのブラームスだの、ってあたりが主流なような気はします。でも、この曲とか、「ライン」とか、結構いいと思うんですけどね。まぁ、確かに、弾いてる方にも、聞いてる方にも、張り合いという意味では弱いのかしらねぇ。

 でも、正直言うと、じゃぁこの曲どこがいいの?と言われると、「イントロ!」って答えてしまうところではあるんですよね。金管が遠く響く中、弦が静かに、波のように、音楽を紡いでいく。もう、これがいいなぁと。今自分が常用してるのはミニコンポレベルのものではあるんですけれども、このレベルで聞いても、ああ、こういう重層的な音の作りっていいよな、と思う瞬間ではあります。

 演奏としてこれがこの曲のベストかどうかはよく分かりません。ただ、この頃の録音は、デジタル以前だけれど、アナログ録音の進化としては録音技術的に成熟してきた時期だと思います。昔は、下手な80年代のデジタル録音より、70年代の方がいいなんて言っていたこともありましたっけ。そういう意味では今でも十分聞ける録音だと思います。まぁ、最近リマスターしたっていうのもあると思いますけどね。



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