While the violin gently weeps - クレンペラーの「マタイ受難曲」 - (5/9)

J.S.バッハマタイ受難曲 BWV244

  ピーター・ピアーズ (tenor)、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ (bariton)、
  エリザベート・シュワルツコップ (soprano)、クリスタ・ルードヴィッヒ (alto)、
  ニコライ・ゲッダ (tenor)、ワルター・ベリー (bass), etc
  フィルハーモニア合唱団、ハムステッド教会少年合唱団
  フィルハーモニア管弦楽団
  オットー・クレンペラー (conduct)
 東芝EMI CE25-5711~13

 引っ越し後初記事であります。3ヶ月振りだなぁ.....その間にラ・フォル・ジュルネも終わっちゃったし。

 今年のラ・フォル・ジュルネの最後は、コルボ指揮ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによる「マタイ受難曲」でした。やはりマタイは時間以上に疲れますが、今回はかなり前の方で聞いていたこともあって、疲れを感じる間も無く引き込まれっ放しでした。
 考えてみれば、フォーレのレクイエムだって演奏する人達なのでおかしくはないのですが、ローザンヌ器楽アンサンブルは現代楽器使用で、勿論ヴィヴラートもしっかり掛かっております。今回のラ・フォル・ジュルネでは、古楽系の演奏家の参加が多かったのですが、最後の最後にこういうのが来るといっそ新鮮であります。

 で、今回のコルボの演奏は、ラ・フォル・ジュルネにしては異例なことに、休憩を入れた演奏会でありました。その休憩の位置が、元々想定されている第1部の終わり、イエスの捕縛の後ではなくて、第2部に入ってから、ペテロの否認のアリアとコラールの後だったのですね。これ、なかなかいいアイディアだと思うのですが、このアルトのアリアが、もう、なんというか........
 個人的には、マタイ受難曲のハイライトはここだと思います。いつもマタイ受難曲に関しては言っているのだけど、この場面は、キリスト教の音楽という色彩がとても色濃いこの曲にあって、最も普遍性を勝ち得た場面だと思います。つまり、人というものの弱さを描き出し、その弱さを嘆く姿に心動かされずにおられないのです。勿論、そこで、アリアは、キリスト教として神へ「憐れみたまえ」と歌うのだけれど、それでも尚この場面は宗教を越えて迫るものがあると思います。勿論、そういう経緯を知らなければ、だけれど。

 このアリアの主役は二人います。一人は、勿論、アリアを歌うアルト。そして、それに伴奏するヴァイオリン。そう、このヴィオリンが絶品でねぇ、コルボの演奏では。1stヴァイオリンのトップ、だから、通常ならコンサートマスターと呼ぶべき(ま、女性でしたので、コンサートミストレスっていうの?今は)ポジションの演奏者がやおら立ち上がり、弾き出したのですが、これが流石にポルタメントとまではいかないものの、ヴィヴラートをきっちり掛けた演奏で、見事アリアに合わせて咽び泣くのです。清澄な声のアルトの歌、咽び泣くヴァイオリン、裏でバッキングするようにテンポを刻むリュート........もう、なんと言ったらよいやら。

 やはり、このアリアは、古楽演奏派がなんと言おうが、ヴァイオリンに咽び泣いて欲しいのです。ヴァイオリンが咽び泣く間に、リュートの歩みに伴われて、人の弱さをアルトが嘆く。その嘆きの普遍性を信じるものであります。
 いや、あのヴァイオリンは本当に凄かった。アリアを歌ったアルトも素晴らしかったのだけれど、それ以上と言ってもいいくらい。本当に「喰っ」てました。

 というわけで、現代楽器での演奏で聞き直しております。クレンペラー指揮、フィルハーモニア管の録音。アルトを歌うのはクリスタ・ルードヴィッヒ。1961年の録音なのでかなり古いのですが、やはり秀逸だと思います。歌手陣も実は豪華で、フィッシャー=ディースカウ、シュワルツコップ、ゲッダ、ベリーと、これは一体何の録音?!と思うような陣容。
 この演奏がまたいいのです。現代楽器だったらリヒター盤もあるのだけど、遠慮なく演奏されている「古楽器以前」の演奏が、抑制の利いた荘重さを湛えていて。あのアリアでも、ヴィヴラートが程良く、十分に、けれど嫌みでない程度に掛かっていて、いいのです。

 この録音も古いけど、CDも結構古いです。1980年代だったと思います。既にこの番号では廃盤なんでしょうが、今でも輸入盤なりであるのかな?
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ラ・フォル・ジュルネ マタイ受難曲 バッハ クレンペラー

ピーター・ゼルキンのゴールドベルク (2/1)

J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲 BWV.988
 ピーター・ゼルキン (piano)
 RCA/BMGファンハウス BVCC-37350

 ピーター・ゼルキンの弾いた、ゴールドベルク変奏曲を聞いております。
 録音に限らず、後世に残ってしまう「作品」とかいうものは怖いもので、どうしてもその時々の評価の変遷から逃れることは出来ません。作品それ自体の受け入れられ方も、その評価も、時によって移ろっていく。まぁ、それが面白いのでもありますが。
 この、ピーター・ゼルキンの録音(って断らないと、親父のルドルフも居ますからね、ゼルキンは)、1965年のもので、ピーター・ゼルキンの最初の録音だそうです。ライナーノートによると、ピーター・ゼルキンのこの録音は、グレン・グールドへのオマージュであると同時に自立宣言でもあって、ついでに父親ルドルフに対する葛藤の証、なんだそうです。なんとまぁ可哀想に。一体全体、自身初の録音を、誰やら直接関係の無いピアニストへのオマージュで、同時に自立宣言(?)であったり、父親への葛藤とか、そんなものとして録音するような音楽家がいるもんでしょうか。随分失礼な話であります。

 まぁ、ゴールドベルク変奏曲といえば、どうしても1955年にグールドが録音した「あれ」を思い浮かべてしまうのは、レコードリスナーとしては自然な話ではあります。それに、グールドの録音は、そうは言っても「ピアノでゴールドベルクを弾く」「ピアノでバッハを弾く」という課題に対する一つの解を見事に提示しているのだから、その後の録音にどうしても「グールド比」という評価基準を立てて見てしまうのも事実です。加えて、ゴールドベルク変奏曲に関しては、1982年以降、グールドの2回目の録音より後の方が、「グールド比」という視点が重視されてしまうかも知れません。
 だからといって、例えばニコラーエワやヒューイットといったピアニストが、グールドに対峙する為にゴールドベルクを録音した、と考えるのはやはりおかしな話です。そんな暇なピアニストはいないのであって、それぞれがそれぞれの求める音楽を作った結果でしかない筈。それはピーター・ゼルキンだって変わることはないと思います。

 実際、この録音から、音楽的にグールドの影を殊更に見出そうとするのはちょっと無理があると思います。まず何よりもアプローチが違う。グールドが拘った「非ピアノらしさ」とでも言うべき音色、響きと、ピーター・ゼルキンのそれとは大いに違います。何よりも「ピアノらしい音」を決して拒絶していません。控え目ながらペダルだって使います。つまり、ピアニストとして、「ピアノでゴールドベルク変奏曲を弾く」ということをやっている訳です。ピアノがピアノらしく鳴ることを前提として、ゴールドベルク変奏曲を弾いている。ついでに言えば、ピーター・ゼルキンは歌いません。それはまぁ本来ピアニストとして普通のことで、何故ならピアニストとはピアノで音楽を表現するのが仕事なのですから。
 実のところ、グールドのバッハ演奏、特にゴールドベルクのそれは、ともすると過大評価されている節があると思います。いや、確かにいい演奏なのですが、ピアノで演奏していながらピアノから逃げようとするグールドの演奏、ピアノで表現出来ることには限界があると言いながら歌ってしまう演奏は、実のところ負けているのであり、逃げているのです。妥協するよりいいし、正直でいい、という見方もあるにせよ。グールドは邪道です。邪道故にいいのであり、面白いのです。
 それと、ピーター・ゼルキンの演奏とは、まるで違うと言っていいでしょう。よく聞くと、この演奏、微妙に揺らぎがあります。例えば同じ変奏の中でのテンポの揺れ、或いはデュナミークの揺れ。決して変奏曲一つ一つが一貫して演奏されているわけでなく、微妙な表現の差異を伴っている。それは、今の視点からすれば「それはバッハじゃない」と言われかねない。でも、ピアノの演奏からすれば、そうした揺らぎが表現上の工夫となっているのは普通のこと。このバッハは、そういうバッハです。ピアノでバッハを弾く、ということに対する、これも一つの解。

 とはいえ、確かに、1965年にこの録音をデビュー録音として世に問う、というのは、なかなか度胸のいることだったかも知れません。考えてみれば、グールド以降、ピアノで録音されたゴールドベルクというのは、あまり記憶にありません。そもそもゴールドベルク自体、まだそれほど一般に広く認知されていたとは言えないと思いますし。むしろ、グールドと較べたくなるのは、そういう理由なのでしょうかね。ある意味非本質的な話ではあるのですが。




バッハ:カンタータ「私は喜んで十字架を背負おう」BWV56 (1/8)

J.S.Bach : Cantata "Ich will den Kreuzstab gerne tragen" BWV56 / Cantata "Ich habe genug" BWV82
 Max van Egmond (bariton)
 Boy's Trebles and Contraltos of the Koorschool St. Bavo, Haarlem
 Baroque Orchestra
 Frans Brueggen (conduct)
 SONY-BMG 88697303862-15

 新年早々抹香臭い(笑)バッハの宗教カンタータを聞いております。
 昨年色々出た大型箱物の一つ、SONY-BMGグループの音源から採られた、"BAROQUE MASTERPIECES" 60枚組の1枚です。この音源は、元を辿ればSEONレーベルで出ていたもののようです。
 2曲録音されていて、内一曲はお馴染みBWV82、「もうお腹いっぱい」のカンタータです。いや、そういう内容ではないんだけどさ。でも、今回の主なお目当ては1曲目の方。

 「私は喜んで十字架を背負おう。この十字架が私を神の御許へ導いてくれるのだ。」と歌われるカンタータ。神の御許へ参ることを願う内容です。えーと、非クリスチャンにはとってもネガティヴに聞こえるんですけどね。ネガティヴと言って悪ければ、非ポジティヴと言うか、パッシヴと言うか.......何せ最後のコラールは「死よ、眠りの友よ、来れ」って内容なんですから.....
 勿論、神の御許へ召されるのは大いなる喜び、とするわけですから、おかしくはないんですが、ちょっと素人(?)には内容的に違和感が。

 でも、音楽的にはなかなか面白いものです。バリトンソロの短調のアリアを基調にして、続くレチタティーヴォでは穏やかさを、更には次のアリアではむしろ喜ばしさを感じさせる音楽。ここでは「私の軛は消えた」と喜んでいるので、まぁ流れとしては最初のアリアと表裏一体といった所なので、この対比も自然ではあるのですが。
 こうやって聞くと、なるほど、バッハのカンタータというのはよく出来ているなぁ、と思います。

 管弦楽は、オーケストラとなってはいますが、実体的には少人数のアンサンブルでの演奏ではないかなと思います。控え目のオルガンの音とまぁ同程度、という感じの存在感。あまり厚みは感じません。録音は1970年代のようで、いわゆる「古楽演奏」という感じではないですが、小編成で小気味よく響く演奏がなかなかよいです。
 ブリュッヘンというと、18世紀オーケストラとの演奏が有名、といったところでしょうが、この「バロック・オーケストラ」というのもいい演奏です。どういった素性なのかはわかりませんが......
 そういえば、来月、新日フィルを振りに来るんだよな、ブリュッヘン。

 後半のBWV82についても一言。ここ暫く聞いて来たこの曲の演奏は実はかなりロマンチックなものではなかったかな、と思わせるような、陰翳を強調しない演奏です。これには、独唱者の声質が極端に陰を帯びたものでなく中庸を保っているのと、これまた必要以上に表情を付けたりしないオーケストラの控え目な演奏が、いい意味での冷静さを感じさせるのです。そうだなぁ、オペラアリアじゃないんだもんねぇ....




コープマン&アムステルダム・バロック・オーケストラのバッハ カンタータ BWV140 (10/4)

J.S.Bach:Cantatas Vol.21
BWV100/200/177/195/140/34/143/158/197/97/118/191

 Sandrine Piau, Johannette, Caroline Stam (soprano)
 Bogna Bartosz, Annette Market (alt)
 James Gilchrist, Paul Agnew, Christoph Pregardien, Joerg Duermueller (tenor)
 Klaus Mertens (bass)
 The Amsterdam Baroque Orchestra / Choir
 Ton Koopman (comduct)
 Antoine Marchand CC72221

 最近、更新をしてませんでした。書くの久々だぁ.....

 バッハのカンタータ集は、実は最近進行中の全集録音が幾つかあります。BCJ、ガーディナー、そして先年完結しているコープマン。コープマンのは完結したんだけど、マイナーレーベルで、決してお手頃価格でもない、ということもあって、今一つ認知度は高くないような気がします。
 今日は、そのコープマンの録音から。私の大好きな曲の一つ、BWV140、Wachet auf, ruft uns die Stimme "目覚めよ、と呼ぶ物見らの声" を。

 コープマン指揮のアムステルダム・バロック・オーケストラは、勿論古楽器の演奏です。概して速めのテンポ、跳ねるようなリズム感、タイトな合奏。よく言えばメリハリのある演奏、ということですが、やはり、改めて聞くと違和感は感じます。何せこちらは、バッハの声楽曲と言えば、まだリヒターの指揮で聞いて来た世代です。オルガン独奏で、更にはピアノへの編曲で有名なコラールも、リヒターらのゆったりとたゆたうような演奏に比べると、何をそんなにせかせかと、という感じ。落ち着かないなぁ(笑)
 合唱などは、そう変わっている訳ではないですが、独唱陣の歌い方は、やはり昔の録音に比べると違います。実際、コープマンのこのシリーズの録音は、この手の最近の録音の中でも別格級に先鋭的。例えばアーノンクールがかつて残した演奏などと比べても、違いは一目瞭然。まぁ、流石と言えば流石なのですが。
 でも、私のようにリヒターに親しんで来たような人間にとっては、このギャップが楽しみの源泉でもあります。実際、コープマンのは全集で持ってる訳ではないのですが、幾つか持っているものを聞く楽しみは、やはりこのギャップにあります。全体的に言って、どちらを好むか?と問われれば、やはりリヒター盤とかの方が隙かなぁ、などと思ったりするのではありますが、時にはメリハリのはっきりついたコープマンなんかの録音もいいものです。

 この全集録音、確かタワーあたりなら12万円とか、そんな感じだったような気が。ちょっと高過ぎるなぁ。取り敢えずの手持ち分で十分楽しめます。





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バッハ/ペトリ編 「羊達は安らかに草を食み」 (5/23)

Leon Fleisher "Two Hands"
J.S.Bach : "Jesu, Joy of Man's desiring" / "Sheep may safely graze"
D.Scarlatti : Sonata E major, K.380
F.Chopin : Mazurka op.50-3 / Nocturne op.27-2
C.Debussy : Clair de Lune
F.Schubert : Sonata B flat major, D.960
 Leon Fleisher (piano)
 Vanguard Classics ATM CD 1551

 レオン・フライシャーといえば、かつてのヴィルトゥオーゾピアニスト。セルとの録音もありながら、右手を病んで引退に近い状態だったのが、近年ようよう復活し、演奏活動を再開した人です。
 先日N響とベートーヴェンの協奏曲を共演したのを聞きに行ったのですが、その関係で改めて聞きたくなって、フライシャーが復活してから録音したこのCDを引っ張り出してきました。
 そういうわけで、本来このCDを聞いたのは、フライシャー聞きたさ故だったのですが.......何故か引っ掛かったのは「フライシャーの演奏」ではなくて、バッハのコラール編曲なのであります。

 ここで採られているコラールは二曲。往年のピアニスト、マイラ・ヘス編曲の "Jesu, Joy of Man's desiring" 「主よ、人の望みの喜びよ」と、ブゾーニの弟子、エゴン・ペトリ編曲の"Sheep may safely graze" 「羊達はやすらかに草を食み」。
 「主よ、人の望みの喜びよ」は、これは説明不要なほど、あまりにも有名な曲。あの、さざ波のような音形に乗って立ち現れるコラールの旋律。
 続いてのもう一曲が、「羊達はやすらかに草を食み」。この曲というかコラール、私は確かに聞いたことはあったけれど、あまりちゃんと聞いていなかったのですね。そう、今回引っ掛かったのは、この曲。改めて聞いたのですが、この曲、よく知られているのでしょうか?決してマイナーなわけではないのだろうと思うのだけど。やはりバッハは奥が深い?

 バッハのコラールの面白さは、特に編曲版の場合そうなのだけれど、コラール旋律の良さもさることながら、伴奏にあたる対声部の印象も大きいと思います。
 バッハのコラールは基本3声部に分けることが出来ると思います。通奏低音、コラールとそれに対する対声部。「主よ、人の望みの喜びよ」で言えば、さざ波のように寄せては返す音形が対声部。いや、こういう言葉でいいのか、そもそもそんな言い方するのかどうかも怪しいのですが。まぁとにかく、この部分が印象に残りやすい。何分にも、コラールは基本的に合唱の為の旋律ですし、しかも原則的には素人が歌う為のものですから。そこへいくと対声部の方は伴奏なので、いろんなことが出来るんですね。

 「羊達はやすらかに草を食み」では、この部分が言ってみれば鐘の音のように喜ばしげに鳴り響きます。原曲を出して来てないので、元々どんな風になっているのか未確認なのですが、これは面白い。よく出来てるな、と思うのは、コラール旋律との対比が鮮やかなだけでなく、構造的にも、旋律的な面を前面に出すコラール部に対し、この部分が言ってみればピアノの持つ「旋律楽器ではない面」、例えば打楽器的な面(鐘というのも分類すれば打楽器ですね、そういえば)を前に出しているので、比較的単純な構造なのに、立体的な音楽に仕上がっていること。
 勿論、元のバッハの音楽の持つポリフォニックな傾向故でもありますが、ピアノの持つ違った様相を同時に引き出して使うあたり、さすがブゾーニの弟子、という感じです。「主よ、人の望みの喜びよ」の方は、ピアニストだったヘスの編曲ですが、こちらが言ってみればコラールの部分を全面に押し出した「ピアニストの休息」とするなら、「羊達は....」は「ピアニストの休日」とでも言えましょうか。
 フライシャーに言わせると、この曲、「我々の時代に対するantidote - 解毒剤、ということでしょうか - 」として弾いているのだそうで。難しいことを仰る(笑)まぁ、演奏としては大変結構。

 バッハのコラールの編曲物というと、どうしてもアンコール・ピース的な雰囲気が漂うのですが、面白いなと思うのは、それにも関わらずやっぱりバッハはバッハ、なんですよね。他の作曲家でも多少あることではあるけれど、バッハの場合、やっぱり、そのように感じさせられることが多いような気がします。








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