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ホセ・カレーラスと愉快な仲間たち(?) (6/2)

Jose Carreras with his Friends
(Mattinata, "Seguidilla" -Carmen, "O mio babino caro" - Gianni Schicchi, Mephistopheles' Serenade - Faust, Duet - Cavalleria Rusticana, etc.)
  Katia Ricciarelli (soprano), Agnes Baltsa (mezzo-soprano),
  Jose Carreras (tenor), Ruggero Raimondi (bass)
  Orchestra London Arts
  Jacques Delacote (conduct)
 Azzuramusic TBP11148

 こないだ、某所のセール箱を眺めていたら、こんな怪しげなのを見つけてきました。まぁ、歌ってるのは知った名前だし、投げ売りで安くなってるし、どんなコンピレーション物だろうか、と思いながら拾って来たのですが、いや、これがまぁなんというか、懐かしいというか.......
 1991年、ロンドンでのライブ録音なのだそうですが、正直,今までノーマーク。今から18年前ですから、カレーラスが復活して結構いい感じの時期です。共演が、ソプラノにカーティア・リッチャレッリ、メゾにアグネス・バルツァ、バスにルッジェロ・ライモンディ。要するに、1991年頃のある意味最強キャストなのです。特にカレーラス=バルツァは1980年代から1990年代の最強コンビ。この二人がカヴァレリア・ルスティカーナの二重唱を歌っているのを聞くと、思わず熱くなってしまうのであります。

 ついつい「昔は良かった」みたいな話になりそうなのですが、やはり、クラシック音楽にも流行というのはあるのでして、それもまた時代と人材で決まるのだと思うのです。今は、ロッシーニルネッサンスなどと言われて、ロッシーニの、昔なら知られざると言われそうなオペラが蘇演されたり、バロック・オペラが盛んに上演されたりするけれど、そうなった背景には、勿論バルトリやシラグーザのような「適材」が出てきたこともあるけれど、もう一方では、オペラ自体が昔ながらのヴェルディ以降のイタリア系中心のロマンティック・オペラだけでは保たなくなっている、そういうオペラだけやっていれば人が惹き付けられるような強力な歌手が減った、というのはあると思うのです。
 今でこそオペラは演出の時代などと言われて、盛んにオペラを解釈することが流行ってはいるけれど、私自身もそんな風に観ているけれど、3大テノールが今居たなら、どうなっていたろうか、とも思うのです。
 いや、むしろ、3大テノールが「居た」から、今があるのかも知れません。端的に言えば、もう「そういうの」に飽きてしまったのかも。例えば毀誉褒貶激しいアラーニャだって、結構いいんですよ、実際に聞けば。
 一方で,3大テノールが居たから、それに呼応するように他の人材も出て来たのかも知れません。ここで歌っているリッチャレッリやバルツァ,ライモンディだって、いわば重量級のキャスティングの中でこそ映える人達だったと言えるのだろうし。
 こういう話はし始めるときりがないので、このへんにしておこうとは思いますが........

 それにしても、これを生で聞いてたら面白かったろうなぁ、とつくづく思うのであります。録音はあまり良くないけれど、そういうのはまぁどうでもいいや、と。
 勿論、聞く側の思い入れが多分に入っているのは間違いありません。4人とも、オペラにのめり込んで行った頃からその後にかけて折に触れて聞いて来た歌手なので、某かの思い入れはあるのです。
 とはいうものの、それを抜きにしても、やはりこの人達、凄い。この中で一番の聞き物は、やはり「カヴァレリア・ルスティカーナ」の2重唱ですが、それに負けず劣らずなのがルジェロ・ライモンディの歌う、グノーの「ファウスト」から"メフィストフェレスのセレナーデ"。ライモンディ,決して録音に恵まれないわけではないけれど、アリア集みたいなものはあまりありません。その中にあってこのライモンディは、声が曲に合っていて、しかも調子も良かったようで、ライモンディとしても、この歌の録音としても、かなりいいと思います。後で、トスティの「最後の歌」も歌っているのだけれど、これも良く合っていて......
 バルツァは、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の2重唱の他に、「ママも知る通り」を歌っていて、これが結構飛ばしてます。ただ、良し悪しというか、このCDでの楽しみで言えば、むしろ「アルジェのイタリア女」からライモンディと2重唱で歌っている方が面白いかも。一番影が薄いのは、或いはリッチャレッリ?いやいや、「ワリー」のアリアを歌ってますが、これがなかなか。
 .................ひょっとしてカレーラスが一番影が薄いのか?いやそんなことはないのだけど、と思わせるくらいのゴージャスさ加減なのです。歌手も、曲目も。今だったら、どんな4人で聞いたらこんな感じなのかな、と考えてしまうのであります。



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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : カレーラス

ヴェルディ:リゴレット (1/29)

G.Verdi : Rigoletto
 Robert Merrill (bariton), Anna Moffo (soprano), Alfredo Kraus (tenor),
 Rosalind Elias (mezzo-soprano), Ezio Flagello (bass)
 RCA Italiana Opera Orchestra and Chorus
 Georg Solti (conduct)
 RCA/SONY-BMG 82876 70785 2

 悲劇というものは、プロットが悲惨であったり悲しいものであったりすれば悲劇になるわけではないそうです。悲劇の主役が嘆けばいいかというと、そうでもない。ポイントは、主役が事態に対し如何に振る舞うか、で決まるのだそうです。端的に言えば、事態に対し英雄として振る舞うことが悲劇の悲劇たる所以であるのだとか。ギリシャ悲劇に関する話だそうですが。
 でも、そういう面は確かにあるのであって、少なくとも19世紀までの物語というのはそういう定式が当て嵌まるかも知れません。悲劇の渦中にある人物が滑稽に、愚かに振る舞っていれば、如何に悲惨であっても悪趣味な喜劇にしかならないというものでしょう。

 リゴレットの場合も同様です。リゴレットに感情移入すれば、これは実に悲惨な物語ですが、見方を変えれば散々人を笑い者にすることで喰って来た人物が、自分が貶められて怒り狂い、理不尽にも復讐の為殺そうとして哀れ酷い目に遭う、とも言える。そんなリゴレットが悲劇たらんとする為には、リゴレットの振る舞いが悲劇として説得力のあるものでなければならない。オペラである以上、その振る舞いは歌唱に依存する訳です。例えば、第2幕の Cortigiani! これを「人間らしく」歌ってしまえば、悲劇は悲劇ではあるし、それは表現として優れたものにはなるけれど、劇としての「悲劇」、という面では中途半端になってしまう。説得力のある定式としての悲劇たらんとするならば、単に怒り、哀れを誘うだけではなく、それ以上の、言ってみれば様式的な歌唱としての英雄性を持っていなければならない。のです。本当は、ね。
 現代の歌唱は、そうした英雄性というものを維持出来なくなっている、と言っていいと思います。歌唱力の問題も勿論あるし、歌手自身の解釈もあるけれど、そうした英雄性に根ざした悲劇、というものが説得力を持たない、と考えられつつある面もあるのかと思います。最近の歌手で言えば、レオ・ヌッチあたりがその代表例でしょうか。ヌッチはこの20年くらいの所では評価の高いリゴレットだったと思いますが、悲劇性という面での様式感は殆ど持ち得なかったリゴレットでした。まぁ、ヌッチに限らず、ではあるのですが。

 久し振りにリゴレットを聞いています。1963年の録音。昔からあるもので、以前も聞いていたのですが、最近になってSONY/BMGで改めてリマスタリングされたのを入手したので。
 旧RCAの音源は、元々BMGグループの一部になっていたのが、BMGがSONYグループの一部になり、と、よくわかりません。まぁ、最終的に経営が安定して、音源も安定して出てくれればそれでいいんですが.....

 この録音での外題役はロバート・メリル。脇をアンナ・モッフォ(ジルダ)とアルフレード・クラウス(マントヴァ公)で固めていますが、まぁ、この録音の眼目はやはりメリル。メリルはこの録音以前にも、ビョルリンクらと、同じRCAで録音しています。当たり役だったのだろうと思います。
 実は、メリルの歌唱は、細部で微妙に違っている所があります。歌唱の最後の処理とか、あれ?と思う所が幾つか。にも拘らず、ここでのメリルの歌唱は、唯一無二の得難いものです。個人的には、バスティアニーニとかの方が好きですが、それとは別に、メリルの歌唱は将に「英雄的」なのです。
 まず、メリルの声。決して美声と言われる類いではないけれど、ロブストで重量感のある、弛むことの無い声。
 そして、その声に乗った、様式感を持ったしっかりした歌唱。実は、第2幕でのメリルは、かなり崩した表現で「演じて」いるのです。現れてから娘を捜し、あの扉の向こうにいるな!おのれ!そこを通せ!と、ここまでは大いに「演じる」のです。が、そこから、Cortigiani! に入ると、「演じない」のです。そこでは、歌唱が感情の爆発に優先する。感情の爆発は、音楽が演じてくれる。だから、メリルは、ひたすらに歌唱に集中するのです。最後のPieta!の一語まで。歌唱の中で、人殺しめ!と廷臣達に向かっていく所も、決して歌唱は崩れない。きちんとテンポを守り、一音も疎かにせずに歌い切る。後半に入ってのリタルダントも決して大袈裟にはしない。何より、メリルは「泣かない」のです。歌唱に泣きを入れない。
 今時の「人間らしい」リゴレットなら、感情を爆発させてわめき、叫び、テンポを暴れさせて「感情を表現」させるでしょう。泣きも入る。本当にマルッロを泣き落とそうとする。それでは、偉大な悲劇には結実しない。今のオペラ上演が昔のようでないのは、演出のせいではないのです。演出は後から来た。まず、歌唱が、音楽が崩れていった。演出が云々、というのは、その後の話なのです。
 メリルの歌唱は、オペラの歌唱が正統的で様式的であることが、本当の意味での音楽上の表現であり、悲劇を悲劇足らしめる要素なのだ、ということを体現しているのだと思います。

 率直に言うと、実は、モッフォはもう一つあってないように思うし、クラウスは堅い。とても遊び人には思えない。歌唱は悪くないとしても、ですが。やはりこの録音は、「メリルのリゴレット」。
 オーケストラはRCAイタリア・オペラ管。なんだそれは.... ローマ歌劇場管が契約の関係でそのような名前に、という話を聞いたこともありますが、まぁいずれにせよそれほどのものでは。それを上手くコントロールしているのが、若き日の?ショルティ、というところでしょうか。実際、ここでのショルティの指揮っぷりはお見事。歌唱を歌唱としてコントロールしながら、結構ショルティらしい快速・拙速振り(笑)を披露しています。言ってみれば、戦後のオペラの黄金期の残照を背負ったメリルと、クラウス、モッフォ、ショルティといった、「その後」の世代の音楽家との邂逅、といった所なのかも知れません。



マリナー卿、ギルバート&サリバンを振るの巻 (11/11)

A.Sullivan "The Yeomen of the Guard" (Highlights)
 Robert Lloyd, Kurt Streit, Stafford Dean, Thomas Allen, Bryn Terfel,
 Sylvia McNair, Jean Rigby, Anne Collins, Judith Howarth
 Academy and Chorus of St. Martin in th Fields
 Sir Neville Marriner (conduct)
 PHILLIPS 442 436-2

 いや、久々のエントリーです。出張やら何やらですっかり御無沙汰で...

 アーサー・サリヴァン、というより、ギルバート&サリヴァン、というべきでしょう。19世紀後半に、英国で数々の、かなり癖のあるオペレッタを多数生み出したコンビです。が、その割にはあまり見掛けることはありません。
 理由は幾つかありますが、やはり大きいのは、正直言ってそれほど結構なものではないということ。有り体に言えば他愛の無い、時にはバカバカしいストーリー、耳に聞こえのいい、という以上にはあまりインパクトのない音楽。
 勿論、英語作品であることなどもあるとは思いますが、そもそも英語圏でもあまり上演されません。例えば、ロンドンには常設のオペラハウスがROH(王立歌劇場、コヴェント・ガーデン)とENO(イングリッシュ・ナショナル・オペラ)がありますが、ROHはもとよりENOでもギルバート&サリヴァンは殆ど上演されていません。そうはいっても、まるで上演されていない訳ではなくて、サボイ劇場というところで、今もミュージカルのように上演されています。実際、新聞などの劇場欄では、ミュージカル各種に混じって情報が掲載されていたりします。
 一度、このサボイ・オペラを観に行ったことがあります。演目は「ミカド」。何故かニホンのエンペラーがチチプ(秩父。絹製品の産地として著名だったらしい)にいたりして、なんなんだこれは、と。舞台装置に日本語で書かれた垂れ幕があって、曰く「これが読めればあなたは日本人」........はぁ、さいでございますか.......

 何故上演機会が少ないのか、分かるような気がします。

 ああそれなのにそれなのに、根強くギルバート&サリバンは生き残っているのです。デッカやEMIには全集があるし、最近ではNAXOSでも録音があるようです。英語国民にとっては、やはり英語なので親しみやすいのと、幾ら毒にも薬にも、と言っても、聞けばそこそこ耳に楽しいのが理由だろうと思います。そう、そこそこ。あくまでそこそこ。だから、普通はキャスティングもそこそこ。というか、日本人からすれば「あんた誰?」というレベル。の筈ですが。
 一体全体どういう経緯か、サー・ネヴィル・マリナーが、手兵のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズを率いて録音しているのです。それも、全曲盤で。私が持ってるのはハイライト盤ですが....
 歌手がまた、ロバート・ロイド、シルヴィア・マクネアー、ブリン・ターフェルにトーマス・アレン。なんだなんだこの豪華版キャストは(笑)
 で、これくらいのキャストで演奏されると、さすがに面白いのです。そりゃ元々それほど手の込んだオペラではないですから、それ以上のものにはなりませんし、他愛無いのに変わりませんが、それなりに音楽的に面白いのです。内容がどうこうではないんですね。締まった演奏で、歌手が上手に歌えば、それなりに面白い、と、そういうことですね。
 題名は「近衛騎兵隊」などと訳されるようですが、要は王宮なんかにいる近衛兵です。ちなみにこのオペレッタの舞台はロンドン塔だそうです。筋は......まぁ、調べて下さい(苦笑)Wikipediaなんかに粗筋が出てますし(少なくとも英語版あり)



シノーポリの「トロヴァトーレ」 (9/26)

G.Verdi : Il Trovatore
 Julia Varady (soprano)
 Stefania Toczyska (mezzo-soprano)
 Dennis O'Neill (tenor)
 Wolfgang Brendel (bariton), etc.
 Chor der Bayerischen Staatsoper
 Bayerishes Staatsorchester
 Giuseppe Sinopoli (conduct)
 ORFEO C582 0321

 ええとですね、私、別に聞いたCDこれ皆ここに書いてる訳ではないのでして、むしろ書かないCDの方が多いのです。書かない理由は、ネタにしにくいとか、気が乗らないとか、色々ありますが、当然ながら「こりゃちょっとね」という出来のものも、書かないことが多い訳です。自分でも言うこときついし独善的毒舌だと思うけど、そういうのは、やっぱり書きにくかったりしますし。

 で、実のところ、このCD、出来が悪いんですよ。にも関わらず書いてるのは、偏に、シノーポリが不憫なものだから(笑)

 1992年2月2日、バイエルン国立歌劇場でのライブ録音。この頃、確か自分は友人と連れ立ってこの辺に居たから、ちょっと間が合ってれば、トロヴァトーレだし、絶対聞いてた筈なんですけどね。

 で、この録音、シノーポリが冴えてるのです。オーケストラの追従も見事で、トロヴァトーレとしてオケが来て欲しい所にきちんと来ているのです。間の取り方も、ライブならではのリタルダントなんかも含めて、いい案配で。いや、本当にいい演奏なのです。が。キャストが弱い。

 マンリーコにデニス・オニール。...........殆ど「あんた、誰(by クレージーキャッツ)」級。いや、いましたよ、そういう歌手。でも、これが、弱い弱い。CDで繰り返し聞くには、あまりに格好悪い。物足りないと言うか、妙に声は出てるんだけど、あまりいい歌い方ではない。癖があり過ぎて、田舎の三文芝居みたいでしらけちゃうんですね。ちょっとぶら下がり気味だし。
 レオノーラにユリア・ヴァラディ。主に、DFDの奥さんとして有名。うわぁ、我ながら酷い言い様。でも、確かに歌手として舞台に立つだけの力量はあるにせよ、この人で舞台を持たせられる、というほどの魅力がある歌手ではないなぁ。
 アズチェーナにはステファニア・トツィスカ。いや、これは本当に「あんた、誰」。いや、一応声は出てます。でも、インパクトがもう一つ足りない。狂気と言うか、アズチェーナの不気味さ、怖さがちょっと。
 唯一聞いてそれなりに頷けるのはルーナ伯爵のヴォルフガング・ブレンデル。でも、この人、いい歌手なんだけど、「おお、これは凄い!」と思わせるようなタイプではないんですよね。いぶし銀の魅力、みたいなところがあって。他の歌手が良ければ良いほど、相手を輝かせて、自分も存在感を増す、とでもいうような。てことは、この状態では.....

 このキャスティングで、プレミエで、シノーポリは振ってる訳です。
 ま、そりゃ、振るのは指揮者の仕事だし、指揮者とオーケストラはそれなりにいい仕事してるんだけど......シノーポリもオケも、頑張りがいがいまいちなかったねぇ(笑)みたいなところがあって。その辺の不憫さが妙に印象に残ってしまっていて。

 いや、ライブながら、この演奏自体は面白いし、それなりに考えられていて、流石シノーポリ、と思う訳です。来て欲しい所に来るし、前述の通り、結構リタルダントなんかも掛かってるけど、実演という状況下ではなるほどと思わせる内容で、不自然さは殆ど無い。.........歌手が不自然な歌い方をしない限り。
 こういう演奏も、あるもんなんですねぇ。
 勿論、キャストを見た瞬間に「?」と思ったのは事実なんで、実際聞いてみて失望した、なんてことは無いんですが。でも、ちょっとこのシノーポリの不憫さは、妙に心に残ってしまったので(^^;






4手ピアノによる「魔笛」 (9/5)

Edition Klavier-Festival Ruhr Vol.10 : W.A.Mozart/A.Zemlinsky "Die Zauberfloete" fuer Klavier zu vier Haenden
 Maki Namekawa, Dennis Russell Davies (piano)
 Avi 553019

 相変わらず忙しいです。週末も仕事です。でも遊びにも行くぞ.......もーやってらんねー.......

 閑話休題。
 一体どういうルートで、どういう値付けで入って来るのか分かりませんが、以前も取り上げたルール・ピアノ・フェスティヴァルのCDであります。今回は第10巻、2004年の公演に関連して録音されたもののようです。だから、ライブとは謳っておりませんで、実際聞いた感じでも、ライブという訳ではないのかも。実は前から気になっていたCDでありますが、入手したのは最近。
 2枚組なのですが、演目が、「魔笛」。ハイ。モーツァルトの魔笛です。ルール・ピアノ・フェスティヴァル、じゃなかったの?って?ハイ、そうです。私も知らなかったのですが、19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した作曲家、ツェムリンスキーが、4手ピアノの為のスコア編曲を書いているのですね。トータルで2時間も無いので、ジングシュピールの台詞のみの部分を省いて、更に一部省略もあるのかな?とはいえ、実際聞いてみると、ほぼ全曲聞いている感じです。
 編曲と言っても、ツェムリンスキーが自分の作風に書き換えたという訳ではなく、むしろ普通に、ピアノスコアを歌唱受け持ち分も含めて4手で弾く為の指示を書きました、という感じです。

 正直、「魔笛」はそれほど好きなオペラではありません。少なくともモーツァルトのオペラなら、個人的には「ドン・ジョヴァンニ」、「皇帝ティトーの寛仁」、「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」、まぁその後に来るのは間違い無いのですが、そうは言っても元々人気の高いオペラなので、それなりに回数聞いているのは確かです。
 そうすると、ピアノ演奏といえども、聞いていれば大体「ああ、ここはあれね」というのが概ねイメージ出来てしまうのではあります。先に書いた通り、編曲とはいえあまり手は加わっておらず、原曲にかなり近いので、容易に記憶とシンクロ出来る訳です。

 とはいうものの、それって、ピアノ・フェスティヴァルの関連録音としてはどうなんだ、というのは、この際あまり考えない方向で.......(苦笑) これだけ容易に原曲のイメージが持てるのだから、ピアノ演奏としては、決して悪くはないとは思うのですが、普通にピアノ演奏を聞くのとはちょっと違う聞き方をしてしまいますからねぇ。
 まぁ、オペラ全曲聞くよりは気楽なので、この忙しい最中でも、聞く気にはなった、というところでして。ちょっと失礼な聞き方でしょうか?でも、まぁ、面白いのは確かなんだし。だからまぁ、いいんじゃない?と勝手に決めているのであります。

 演奏は、Maki NamekawaとDennis Russell Davies。デニス・ラッセル・ディヴィスの方は、所々で指揮者として名前を聞くことがありますが、私は確かまだ聞いたことはありません。アメリカ生まれで、結構あちこちで指揮をしたり、常任に就任した経験も豊富なようですが、ピアニストとしては知らないなぁ。オペラでもあちこちで振っているので、その辺の経験によるのでしょう。一方のNamekawaさんは、私はあまり知りません。ドイツなどで演奏してらっしゃるようですが。




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