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ASIAN KUNG-FU GENERATION

フィードバック・ファイル
 ASIAN KUNG-FU GENERATION
 Ki/oon records/SONY MUSIC ENTERTAINMENT KSCL-1048/9

 基本的にクラシック、時々ジャズな人なのですが、時々煮詰まるとそうでないものを聞いたりするのであります。別に珍しいことでなく、そういうものだって聞く、というだけの話ではあるんですが。

 で、そういうものの一つに、ASIAN KUNG-FU GENERATIONがあります。前にも書いてるからどうこういうつもりは無くて、なんでこれかと言えば、たまたまぶつかったから、という以上のことではないのですが。まぁ、ぶつかった後、避けて通ったかというとそうではなくて、相変わらず何処かで付き合い続けているので、某か惹かれるものがあるのではありますが。それが声だったり、リフだったり、詩だったり、とあるとは思うのですが、あんまり解釈してもしょうがないかな、とか思ったりもするので。

 煮詰まってる、といっても、こう深刻な話ではないんですが。ただ、リセットしたいな、と思うことはあるわけです。音楽家でもなんでもない自分にとって、本来クラシック音楽を聞いたりするのは、生活の中での何かからのリセットでもある筈なのですが、その機能が鈍ったりすることはあるわけで。耐性菌じゃないですが、効かない、ということはある。
 そういう時に、例えばアジカンだったりするわけです。その理由が説明出来れば苦労はしない。てーか、そういう説明を省きたいから聞いてるようなもんで。問われても困る。

 まぁ、思い当たる所はあるんですけどね。
 声だったり、リフだったり、詩だったり、というのはもう書いた。それ以上に、この人達の音楽、どっかに醒めた所を感じるのです。自分だけかも知れないけど。で、その醒めた感じ、ひんやり感が気持ちいいのです。音楽自体は熱いのだけれど、その醒めた感じが好きなのです。
 ライブに行かない自分の聞き方は、ちょっとズレてるだろうとは思うんですけどね。でも、この昔ながらのロックテイストのプレイの下に流れるひんやり感が、他とは違う惹き付ける力を持っているように思うのです。

 と言いつつこのCDに惹かれる理由が、なんのことはないボーナストラックのライブ録音だったりするのではありますが。でも、やっぱり録音で聞く限り、この人達、やっぱりライブでもどっか奥底にひんやり感があるんだよなぁ。その辺がたまらないのです。




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ネストリウス教会の聖歌 (10/11)

東シリア教会 エジプト・カルデア主教の典礼歌
 ネストリウス・カルデア教会司教ペデ (歌、朗読)
 SEVEN SEAS KICC-5708

 グレゴリオじゃない聖歌については、これまでにも何度か取り上げて来ました。とはいえ、ミラノのアンブロジウス聖歌とかは、まぁ一応西欧の聖歌の伝統の中に居ますから、それほど違和感はないのですが、ここまで来るともうレコード屋でもクラシックの棚には置かれていません。ワールドミュージックの棚に置かれます。そもそもこのCDのシリーズ自体が「世界宗教音楽ライブラリー」の一環ですし....

 エジプト・カイロのカルデア教会に伝わる、東シリア教会の聖歌を録音したものです。1977年の録音。
 この東シリア教会、ネストリウス派なんだそうです。そう、異端として5世紀に断罪され、キリスト教の主流派(カソリックと正教会、それに後ではプロテスタントも)からは排斥されながら、後には景教として中国にまで伝わったとされる、ネストリウス派。東方では後年まで残り、今に至る、ということのようです。

 では、この典礼歌が往時の景教の姿を伝えているかというと、それはよく分からないのですが、まぁこの録音を聞く限りでは、朗唱の仕方、旋法などを聞く限りでは、どちらかというとイスラム圏のコーランの朗唱などを連想します。元々、グレゴリオ聖歌などの西方聖歌にしても、実は結構イスラム圏の音楽を連想させるような面はあるのだし、不思議じゃないですが。
 多分、あれこれ似てるの似ていないのと比べるよりは、むしろ、西方諸教会とは異なる、けれど現代に生きるキリスト教の一つとして、現実の有り姿をそのまま受け止める、という方が自然なのでしょう。

 と言っているこの聖歌ですが、確かに我々が「キリスト教の聖歌」として連想するものからは少々、いやかなり変わっています。
 まず、一般の聖歌のイメージとは違って、司教が単独で歌っている。普通、聖歌というのは、典礼の際に歌われるので、集まった人々によって歌われるのが一般ですが、ここでは独唱になってます。これは、ただ、諸事情により、という可能性もあるので、一概には言えないのですが。
 ともあれその結果、非常にクリアに旋律が聞こえます。独特の中東風の旋法と相俟って、中近東の民謡、と言われても騙されてしまいそう。実際、歌われてるのはアラム語のようですから、歌詞を聞いて「これは聖歌だな」なんて分かる筈も無く.....

 そんなの聞いて面白いの?と言われると、ちょっと困ってしまいますが、まぁ、でも、面白いです。どう言うんでしょうか。こちらの想像力を刺激されると言うか、そんな面白さ、ですね。これに限らず、民族音楽の類いの面白さの一つは、そういうところにあるんじゃないかなと思います。
 いや、クラシック音楽だって、結構そういう面はあると思いますし。



グルジアの歌 (8/15)

グルジアの歌
SEVEN SEAS/キングレコード KICC-5570

 グルジア。紛争というよりもうこれは戦争になってる国であります。あそこが紛争地帯になってしまうには色々な事情 - 民族の事情と国家の事情と - があって、それはそれである面仕方ないのではありますが、しかしそうは言っても実際に紛争・戦争になって、難民が発生する事態に至っているのは事実だし。困ったもんです。困ったもんです、で済めば世界平和は容易いもんでしょうけれど。

 グルジア辺りのコーカサス地方を果たして中央アジアと言っていいのか、問題は残りますが、この辺の地方からキルギスやトルクメニスタンがあるあたりの土地というのに、実に能天気ながら一種の憧れを抱いているのもこれ事実であります。イメージとしては、シルクロードの世界ですね。それに、ボロディンの「中央アジアの草原にて」のイメージが重なっております。でも、実際に自分が行くのは大変そうだから、多分行かない。行かないけど、興味は尽きない。と。こんな感じでしょうか。
 ちなみに、これはもう本格戦争と言うべきチェチェン「紛争」が起きているチェチェンもコーカサス地方の、もっと東の方にあります。そう、こっちの勝手な憧れとは別に、宗教・戦争が入り乱れて、本気の殺し合いになっているのがこの地域の一面でもあります。
 グルジアは、英語表記ではGeorgiaと綴ります。ジョージア、なのです。グルジアの国名の由来は色々あるらしいですが、実はキリスト教主体の国であるグルジアの守護聖人は聖ジョージなんだそうです。グルジアが対ロシア牽制の意味合いがあって、EUやUSAに近づき、或いはNATO加盟を希望したりしているのには、勿論外交上の思惑はあるにせよ、こうした文化背景もあるのでしょう。

 で、そのグルジアの音楽を図書館から借りて来ました。
 収められているのは、労働歌と宗教歌。ほぼ全編無伴奏での重唱。思えば、1967年頃に採録されたものだそうですから、40年前です。当時はソビエト連邦の1共和国として組み込まれていたわけで、それから20年後にソビエトは崩壊し、更に20年、今のような混迷に至る訳ですが、考えてみればソビエト政権下でもちゃんと宗教歌が残っていた訳で、それも立派と言えば立派か。
 ただ、宗教家と言っても、いわゆる聖歌とは似て非なるもののようで、確かにキリスト教信仰はあるんだけど、同時に一種のシャーマニズムにも通ずる慣習も残っているようで、その辺よく分からないんですよね。このCDに付いてる解説も、詳しい所までは書いていないし。

 音楽としては面白いです。合唱、というより重唱によるポリフォニックな音楽というのはあちこちに伝承されていて、ブルガリアの合唱などはその中でもかなりポピュラーになったものの一つですが、グルジアのそれも同様にポリフォニーな重唱が特徴的。取り敢えず聞いた限りでは、発声に特殊特別なものがある、とは思えないですが、旋律や音の造りは独創的というか特徴的と言うか。
 こちらにそういう耳が備わってないのが主たる要因ですが、この種の音楽を聞くと、いつも「何が違うのかよく分からないが、何かとても違って聞こえるのは確かだ」という感じを受けるのです。正直、グルジアの音楽とアゼルバイジャンの音楽とアルメニアの音楽と、それぞれ聞いて、「ああ、確かに違う」とは思えても、それが具体的にどう、と体系的には分からないし、どれがどれ、というのもきっと暫く経つとよく分からなくなるのです。「どれがグルジアだっけ?」みたいな。要は情熱が足りないんでしょうけど....
 まぁそういうことはともかく、この、ひたすら男声だけで延々紡がれて行く音楽、なんとも言えず惹き付けられるものがあります。こちらの音楽的ボキャブラリーというか素養からすると、「これは何でしょう?」となってしまうのですが、「いい/悪い」でなくて、引き込まれてしまうのです。まぁ、物珍しさ、というのはあるんでしょうけれど。

 こういう歌が今もまだ残っているんでしょうか。今も伝承されているとしても、歌い手も戦火に巻き込まれているのでしょうか。或いは難民として逃れているのでしょうか。そんなことを思うのであります。




珍しくボサノヴァを聞くの図:Chie

ilha de sol
 Chie (vocal)
 ビデオアーツ・ミュージック/コロムビアミュージックエンタテインメント VACL 0007

 珍しくボサノヴァなんぞ聞いております。普段もまるで聞かない訳ではないんですけどね。
 先月、銀座の方に出たついでにMacストアに寄ったら、たまたま店内のイベントスペースでライブをやっていたので、聞いてみた人です。Chieさんとおっしゃる。まだメジャーデビューで4年目にして2枚目のアルバム、という人です。
 声が綺麗なんですよ。まぁ、日本人でボサノヴァ歌う女性って、大抵声は綺麗なんでしょうが、この人のは清々しさのある、シンプルで綺麗な声です。

 ジャケットがとても印象的。
 紙製のデジパック仕様で、全面白一色。その中央に小さめに、歌い手自身が何も着ず、付けず、ぐっと膝を抱えて胎児のように座っている写真。でも、全くいやらしい感じはなくて、むしろ清潔感が漂います。ジャケットの、柔らかい白一色、というのがそれを後押ししているのでしょう。彼女の声同様にシンプルなイメージ。
 特にポップスの場合、ジャケットイメージは重要です。クラシックなどは、最初からどんな曲、どんな音楽が入っているか、概ね分かってるので、ジャケットが与えるイメージはあまり議論されませんが、ポップスの場合はそもそも何が入ってるか、知名度の高いグループなら概ね分かってても、いや、その場合だって、意外と「何が入ってるだろう?」と思われることは多いと思うし。イメージ戦略は大事でしょう。その点、このジャケットは大変よく出来てると思うのです。

 ライナーノートも大変シンプルで、解説らしき物はおろか、歌詞も、オリジナルの歌詞しか載っていません。で、殆どがポルトガル語の歌なので、私には何歌ってるのかさっぱり分かりません(笑)一部の曲は、先だってのライブの時に説明を聞いてるから、一応何歌ってるか、大意はわかるんですが。
 でも、それでどうこうって気は勿論しないのです。シンプルでいいじゃん、みたいな(笑)

 音楽的には、えー、ボサノヴァです(笑)
 全10曲、いずれも誰かの書いた曲を選んで歌っています。中では、2曲目、Kleiton Ramil と Kleidir Ramil という2人の手による「A ilha」が、浮遊感一杯の不思議でかつリラックスさせてくれる曲です。3曲目のCaetano Veloso による「Trilhos Urbanos」、それに6曲目の「Samba do Grande Amor」(Chico Buarque)もいいですね。Samba do Grande Amor は、題の通りリズミックな曲なのだけど、とても上品で少し気怠いという、上質のボサノヴァのイメージそのもののような仕上がりです。

 たまたま知って手に取って、というわけですが、なかなかよいですよ。たまにはこういうのも。

 3月17日(って今日じゃん)、大阪・心斎橋、18日には東京・渋谷のClub Quattroでライブがあるそうです。勿論私は忙しいので行きませんが、興味のある方はどうぞ。なかなかええですよ。




ヴェネツィア・ラ・フェスタ (9/9)

ヴェネツィア・ラ・フェスタ
 アンサンブル・オブ・グラン・カフェ・フローリアン
 アンサンブル・オブ・グラン・カフェ・ラヴェーナ
 アンサンブル・オブ・グラン・カフェ・クアドリ
 WINTER & WINTER/ボンバ・レコード BOM22009(910 007-2)

 日曜の夜は人並みにブルーなんですけどね...........日曜の夜の過ごし方は月曜に影響します。月曜の調子で、その週の調子はある程度左右されますから、コンディション調整は大事なんですが、このところは仕事してることが多くてたまらんです。
 で、気晴らしになるものをつい求めたりします。

 まぁありがちと言えばありがち、妙と言えば妙なCDです、こいつは。
 ヴェネツィアのサン・マルコ広場と言えば、世界で最も有名な広場の一つ、でしょう。イタリアでこれより間違いなく有名なのは、ローマのジェラート歩き食いスポット・スペイン広場くらいではないでしょうか。フォロ・ロマーノだってかくや。そういえば、先日、渋谷のBunkamuraのザ・ミュージアムで、「ヴェネツィア絵画のきらめき」展というのを観てきましたが、よくある「サン・マルコ広場を海側から見る」という構図の絵の前で、あそこの広場のカフェがどうしたの、一面水没してたのと話している人がいました。聞くとも無しに小耳に挟む話が大体「何処がどう」というのが分かってしまって、なんとも......

 実はイタリアという国に行くのは、それほど大好きというわけではないのですが(<結局ドイツ語圏LOVEなのです)、ヴェネツィアだけは何度行ってもいいな、と思っています。観光地だから楽、とかいうこともあるのだけど、やはりあの町の何とも言えない「町として終わった」感がいいのかなと。
 一通り観光したことはあるのですが、まぁ街全体が見物みたいな所で、でも貧乏性の哀しさで滞在日数は多くないので、結構駆け足です。それでも、サン・マルコ広場はどんなところかよく分かります。でも、やったことがないのが、あの広場のカフェに陣取って、広場を行き交う人達を眺めたりしつつ、お茶を頂くということ。これまた貧乏性の哀しさで、旅行に行くとつい欲張ってあっちへこっちへ行ってしまうので、そんな風に時間を使うことがないのです。

 なので、果たしてこんなバンドがいたっけ?というのは定かではないのですが、このCD、このサン・マルコ広場の「グラン・カフェ」と呼ばれる3つのカフェにいる楽団が交々に何処かで聞いた音楽を演奏するというCD。バックには鐘の音やら人の話し声や拍手が入り、他の楽団の演奏が被って入って来るという趣向。楽団たって、ヴァイオリン2本、クラリネット、アコーディオン、ピアノ、ベースという編成。それが、「椿姫」の前奏曲だの、ピアソラだの、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲だの「こうもり」のメドレーだのを編曲して演奏する訳です。
 他愛無い、と言えばそれまでですが、これが意外と面白い。「ここではない所」を具体的にイメージさせてくれるのです。ヴェネツィアをイメージしたからどうなるというものではないし、朝になればいつもの1週間ですが、でも、そういうこととは別に、今ここで違うことを想う、そのことが気晴らしになるのでしょう。って、日曜の夜に気晴らしってどういうこっちゃい(苦笑)

 いや、本当に、言えば他愛もないCDなんですけどね。ま、ツボに入ってしまったらそれまでということですね。ハイ。本来は自分でもあまりそういうの好きではないけど、それで気が晴れてしまうのなら、それはそれでいいかな、と。
 そういえば、最近一部で流行の「となりの801ちゃん」("自分は普通だぁ!"と思う人にはお勧めしません(^^;)を見ていたら、801ちゃんが萌え対象を見つけて「これであと半年は戦える」というので、チベ君が「何と?」と問うのに答えて「現実と」と答えてました。
 .............そーだよねぇ。現実と戦う為のアイテムが、皆、必要なんだよねぇ........
 ヲタクと一緒にするなぁ!って怒られそうですが、本当はそんなに違いがあるもんでもないような気がしてます。




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