バスティアニーニ・リサイタル・1965 (5/28)

バスティアニーニ・リサイタル・1965
 エットーレ・バスティアニーニ (bariton)
 三浦洋一 (piano)
SEVEN SEAS/キングレコード KICC 58

 昨日は藤原歌劇団のリゴレットの公演を観て来たのですが、帰ってきて、なんとなくバスティアニーニのリゴレットが聞きたくなって、CDを引っ張り出す内、これが目に付きまして。

 バスティアニーニは好きなバリトンです。勿論随分前に亡くなっていて、生で聞いたことなど無いのですが。自分のblogで検索してみたら、時々取り上げてます。奇しくも丁度1年前、去年のF1モナコGPの日には、デル・モナコのアルバムを取り上げているのですが、やはりデル・モナコと言えばバスティアニーニ、ってわけで.......もないんですが。

 1965年、バスティアニーニが早逝する二年前、来日した際のライブ録音です。ここでもバスティアニーニはリゴレットの「悪魔め、鬼め」、"Cortigiani" を歌っています。ですが、ここでのバスティアニーニ、出を思いっきり間違えてます。ピアノが上下降する音形の2度目の最後で入る筈が1拍半くらい遅れてます。戸惑う伴奏。揺れる歌唱。しかし、持ち直してからはバスティアニーニの独壇場。
 でも、やっぱり、バスティアニーニなんですよねぇ。何歌ってもかっこいい。かっこよ過ぎる。
 このCDの解説は黒田恭一なのですが、バスティアニーニファンでもある彼は、この稀代のヴェルディアン・バリトンについてこんなことを書いています。
 「ヴェルディをうたうときのバスティアニーニは、いつでも、その音楽の語りうることを信じ、過度に演じすぎることはなかった。」
 そう、全くその通り。過度に演じることなく、その音楽の語りうることを信じて歌えば、自ずから音楽が語り始める。それがヴェルディのオペラ。
 それはその通りなんだけど、しかし、その境地に達することのなんと難しいものか。それが出来る人が、果たしてどれほど居たものか。
 これと良く似た音楽があります。シューベルトの歌曲。幾らでも歌う人は居るけれど、どうしても演じてしまい、色気が見え隠れしてしまって興醒めする。本当に、あの歌曲を自然に、自然であることすら気付かせずに聞かせることは難しい。そしてまた、そういうのを一度聞いてしまうと、下手に逸って歌われると鼻に付いて仕方がない。そういう音楽です。

 このCDで聞かれるバスティアニーニの歌は、そういう音楽を歌う事の出来る音楽家の、最良の記録の一つ、と言っていいでしょう。と言いつつ、ここでは後半でしっかり「帰れソレントへ」とか「カタリ」とか、「オー・ソレ・ミオ」とか、歌ってるんですけどね。いやさ、そういうのがいけないわけではないんだけど。
 でも、こういう曲で、きちっと歌い回すバスティアニーニを聞いていると、つい、ああ、なんて勿体無い....と思ってしまったりするのです。こういう曲でもバスティアニーニの歌のフォルムは変わらない。変わってる曲もあるんですけどね。「セヴィリア」のフィガロとか。でも、基本は変わらない。

 バスティアニーニは、そういう意味では、何歌っても同じ、です。でも、その歌い方が様式感を伴っているので、何歌ってもバスティアニーニ、なんだけど、それは同時に正しく「歌」になっているのです。
 バスティアニーニは昔から好きだけど、未だに聞き続けるのは、多分、そうした様式感というものがしっかりしているからなのだと思います。今では、こういう様式感を内在した人というのは本当に少ない。それを形成する事自体誰にでも出来ることではない、難しいことなのだから。一方で、そうした様式感を礎に歌うことが必ずしも支持されるとは言えず、むしろ演じることを求めながら、「確としたもの」が無いと無責任に言い放ってしまう、というのが今のきき手なのかも知れません。そういう無責任さというものに冷や水を掛けてくれる。バスティアニーニとは私にとってはそんな存在かも知れません。




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