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バーバー:弦楽四重奏曲 op.11 (11/18)

C.Ives : String Quartetts No.1 & 2 / Scherzo from "A Set of Three Short Pieces"
S.Barber : String Quartet

 Emerson String Quartet
 Deutsche Grammophon 435 864-2

 バーバーの弦楽の為のアダージョ op.11 と言えば、恐らく日本で最も耳にされているクラシック音楽の一つではないでしょうか。そう。映画「プラトゥーン」で使われて一躍脚光を浴び、泰西の名曲の仲間入りも飛び越して、通夜葬儀告別式のBGMの定番となってしまったの曲です。勿論、別に「その目的」で書かれた音楽ではないので、バーンスタイン指揮ニューヨークフィルとか、まぁ錚々たる面々があの重苦しく重厚で荘厳な音楽を演奏している、で、そのCDとかを一生懸命毎日何処かで流しつつ「御焼香を....」なんてやっているわけです。いや、決して式典の方を揶揄するつもりではありませんのですが。
 ただまぁ、ああいう式典の時は、定番というのが何よりも重要なんでありまして。とにかく「外す」とえらいことになったりしますから、お決まりの「ああ、あの曲」を流しておく、というのは、無難でいいんでしょう。可哀想なのは「あの曲」の方でして、ある程度歳が行くと、「あの曲」が使われるシチュエーションというのが刷り込まれてきますから、自動的に連想してしまうのですね。バーバーの弦楽の為のアダージョを聞いて結婚式を連想する、という日本人は、かなり珍しい筈です。

 ところで、この曲、本当は編曲ものだというのは御存知でしょうか?実は元は弦楽四重奏曲なのです。
 先日、車でラジオを聞いていたら、アメリカ音楽特集で、バーバーについて、この曲が実は元は弦楽四重奏で、と紹介していたので、「おお、今日は弦楽四重奏を掛けるのか!」と思ったら、「では、弦楽の為のアダージョを」てなもんで、いつものを掛けていたので、思わずずっこけてしまいました。ハイ。
 私もスコアを見た訳ではないし、弦楽の為のアダージョの生演奏は見た覚えが無いので推測ですが、弦楽合奏だと弦楽四重奏に対しコントラバスが入って4声に対し5声になるだけなので、編曲しても大した違和感は無い筈なんですよね。ただ、コントラバスの分、重くなる傾向ではあるか。

 ラジオで掛けないのなら自分で聞くしか無いですね。で、このCDを引っ張り出しました。アイブズの弦楽四重奏曲2曲に、バーバーのをカップリング。バーバーはおまけ的位置付けなんですが。演奏はエマーソン四重奏団。演奏がいいのか悪いのかは、他のを聞いたことがあまりないのでなんともですね。

 バーバーの四重奏曲は、2楽章構成です。とはいえ、急-緩・急の構成で、見ようによっては3楽章構成。比較的長い急緩前二楽章に、プレストで短めの第3楽章というコーダが第2楽章からアタッカで付いて来る、といったところです。真ん中の第2楽章を編曲したのが「弦楽の為のアダージョ」。1910年生、1981年没のバーバーですが、この作品は1936年のもの。作曲年代の割に保守的に感じられるのは、恐らくは不協和音の少なさ故。確かに調性も怪しいし不協和音も多いけれど、バルトークあたりと比べると、ある程度予測される範囲での不協和音の使い方に止まっているし、奏法的に独特なものがあるわけでもない。特に、例えばバルトークの持つある種の野性味、暴力性みたいなものがバーバーには出て来ない。これは小さい違いではないと思います。
 バーバーが抱えているのは、アメリカ的な保守性と都市に象徴される科学的近代性に因って来る不安、なのでしょうか。そのかわり、中欧で活躍した音楽家達に否応無しに影を落とした政治的不安定というものが、バーバーには表れていないのかも知れません。

 不安感を象徴するような強奏で始まる第1楽章は、不安感と強迫感を織り交ぜながら進みます。それにも関わらずそれらを表すフレーズや、時に訪れる安定が、美しく響いてしまうのが、バーバーのバーバーたる所以でしょうか。私はこれを聞くと、ベルクのヴァイオリン協奏曲の第2楽章を思い出します。もっとも、あちらの方がこのバーバーの曲よりずっと厳しいけれど。
 この、不安に満ち、落ち着きの無い第1楽章に続いて、件の第2楽章がやってきます。
 この曲に今更説明は不要でしょうが、指摘しておきたいのは、この曲があくまで弦楽四重奏で演奏されるということ。
 弦楽合奏での演奏は、大抵、この曲の悲しみに満ちたフレーズが、徐々にクライマックスを迎えて行く過程で、いわば音楽で全てを塗り込めて行くような印象を与えます。圧倒的でどうしようもないものとしての象徴のような弦楽合奏という壁。しかし、これが弦楽四重奏になると、やっていることは同じなのだけど、隙間のある、圧殺されるような感じの薄れた音楽に聞こえて来るのです。弦楽合奏版が個人の力では抗うことの出来ないものに圧倒される悲劇だとするなら、より個人的な哀しみの表現、なのでしょうか。実のところ、ここでのエマーソン四重奏団の演奏も、少なからず編曲版に影響されてるんじゃないかとは思いますが、それでも、弦楽合奏版との差異はよく分かります。何より、この曲が元々持っていた筈の表情が、活き活きと伝わって来るのです。

 確かに、この曲の持つ曲想自体は、弦楽四重奏でもそうは変わりません。が、第1楽章との対比で見た時、あの「壁に塗り込められたような葬式音楽」は、よりインティメイトで顔の見える哀しみの表現として聞こえて来るのです。
 そして、第3楽章とも言えるコーダは、第1楽章の再来のようにも響きます。第1楽章を外面の表現とするなら、第2楽章は内面なのでしょうか。第3楽章には、そういう意味で、救いや解決はありません。これを聞いていると、私は、あの第2楽章での内面の哀しみを抱えながら、やっぱりこの世界を生きて行かざるを得ないのだ、というような気分になってきます。
 ちょっと思い入れが強過ぎますかね。

 まぁ、こういう感じ方はともかく、この曲を弦楽合奏だけで聞くのは勿体ないと思います。本当は、もっと色々な表情のある音楽なのだから。

 ちなみに、このCD、アイブズの弦楽四重奏も入ってますが(いやこっちがメインか)、アイブズは、乱暴な言い方をすれば、「屈託がそれほど多くないショスタコーヴィチ」ってところでしょうか。政治的弾圧により命の危険を感じる所まではいってないでしょうからね、アイブズは。いや、本当にそんな感じなんですよ。アイブズの方が全然早いんですけどね。1874年生まれだから、後期ロマン派で全然おかしくない年代なんですが。



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