J.S.バッハ:カンタータ第82番「我満ち足りたり」:プライ (12/4)

J.S.Bach : Kantaten BWV54 "Widerstehe doch der Suende" / BWV82 "Ich habe genug" / BWV56 "Ich will den Kreuzstab gerne tragen"
 Marga Hoeffgen (alt)
 Hermann Prey (bass)
 Thomanerchor Leipzig
 Gewandhausorchester Leipzig
 Kurt Thomas (conduct)
Berlin Classics 0092022BC

 またこの曲です。
 ええ、そうです。私、カレーが食べたくなるとすぐはまって、毎日カレーでも飽きないタイプです。そのくせ、暫くすると急に蕎麦に凝り始めたりとかします。おいしけりゃ続いたって構わないじゃん、ってタイプです。

 ディースカウと言えばやはりプライを連想せざるを得ません。とはいえ、結構古い録音です。1959年12月の録音。指揮がクルト・トーマスですからね。年代物です。この頃プライは幾つだったのかな?30代ではあると思うけど。(ところでプライは"バス"なんだっけ?)
 ボストリッジが21世紀、ディースカウが1980年代、プライのこれは1960年頃。大体20年間隔で来ています。プライの声が若いですねぇ。歌手については、あんまり若過ぎるのはどうかと思うけど、このくらいの頃のプライはいいです。
 録音は鄙びた感じ。これはまぁ、録音年代を考えると仕方ないでしょうね。当時の東独の Electrola がライプツィヒのトーマス教会で録った録音ですから、質的に限界がありますね、やはり。

 まずは、先の二者に比べれば、明らかに演奏スタイルが異なります。基本的にレガートな演奏。そして、テンポ設定もゆっくり目に感じられます。もっときびきびとした前二者に比べれば、ゆったりとした演奏です。こういうのは、正直言うと、ちょっとホッとしますね。
 プライの歌唱は、どちらかと言うと様式的、と言っていいのでしょうか。感情表現が生に出て来るような表現ではなく、カンタータを式典音楽として演奏している、という感じですね。勿論、ボストリッジあたりのそれと比べると、という話ではあるのですが。

 プライの声は、いつもながら「ああ、プライだなぁ」とすぐ分かります。特徴的な声。冒頭の短調で入る「もう十分です、神よ」と歌うアリアは、より鋭く迫って来るボストリッジとは違うけれど、ディースカウほどの柔らかさとも違う。言えば、ちょっとだけ距離があるんですね。式祭の音楽としては丁度いいのじゃないかという感じ。それがつまり様式的ということなのかも知れません。でも、決してよそよそしいわけではない。ボストリッジやディースカウが、彼らなりの表現で「私はもう十分です」と歌うのに比べると、「もう純分なんです」ということを歌っている感じ。
 これは、プライがそう歌っているというのもあるだろうけど、同時に、確かにプライの声というのは、時にそんな傾向があるかも知れません。「私が歌う」のではなく、「歌う"私"を表現する」とでもいうような。決して隔意があるというわけじゃ無いと思いますが。

 まぁ、それはそれとして、やはりプライの声は聞いていていいなぁと思うのです。このアリアにしてもそうですが、歌手が前面に出て歌い演じる、という感じではないのに、やはりプライという歌手の存在感を感じるのです。どう歌っても、何を歌っても、やっぱりプライはプライなんだな、と改めて思います。

 録音は古いですけど、これはこれで好きです、私は。




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