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ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」/カラヤン (12/15)

M.Mussorgsky : BORIS GODUNOV
 Nicolai Ghiaurov, Martti Talvela (bass)
 Galina Vishnevskaya (soprano), etc.
 Wiener Saengerknaben / Sofia Radio Chorus / Wiener Staatsopernchor
 Wiener Philharmoniker
 Herbert von Karajan (conduct)
 DECCA 411 862-2

 今日、というか昨日は、朝から夕方に掛けて仕事でした。年末に向けて残務を追い込み。大慌てです。
 でもまぁ、家で仕事をするならば、ながら聞きが出来るので、それはそれで悪くはない。特に今日のように朝からとなると、普段聞けないようなものも聞ける訳でありまして。ま、この際、ながら聞きってのは勘弁して頂く方向で.....

 というわけで、今日は大物です。ボリス・ゴドゥノフ。CD3枚組、実演では4時間半コースです。カラヤン指揮ウィーン・フィルの、リムスキー=コルサコフ版ということになってますが、リムスキー=コルサコフ版って、最後、ボリスの死で終わるんじゃなかったかな?
 まぁ、ボリス・ゴドゥノフは、指揮者によってそれこそ面白いようにあれこれ変えられているので、どれがどうとなかなか特定出来ないのではありますが。もっともそれを言えば、ボリスに限らずムソルグスキーはあまりにも皆にいじられ過ぎという気もします。大体が、リムスキー=コルサコフがちょっかい出し過ぎなんでありまして。で、皆も「いいかな」てな感じでいいようにいじることいじること。「展覧会の絵」は言うに及ばず、「禿げ山の一夜」にせよ「ホヴァンシチーナ」にせよ、結構手が入ってるし。ショスタコーヴィチも結構色々ちょっかい出してるんですよね。

 ボリス・ゴドゥノフの難しさは、敢えて言えば脈絡の無さ、でしょうか。勿論全体の物語にはちゃんと流れがあるのですが、直接の繋がりがないんですよね。特に、ボリスとグリゴリーのエピソード相互に、関連はあるのだけど、話としては繋がらないので、ちょっと散漫になってしまうと言うか。で、個人的に言うと、僭称者の一代記というか、冒険譚とでも言うべきグリゴリーに関わる場面よりは、ボリスに関わる場面の方が圧倒的に面白いと思うのです。厚みがあるというか。ボリスの為政者・権力者としての苦悩、それに対置される民衆の苦しみ、近いようでとても遠い両者の間の緊迫感。グリゴリー一人の野心(一人ではないけれど)が生み出すドラマのエネルギーと比べると、厚みが違うのも当然、でしょうか。プーシキンの原作自体がそういう傾向ですし。

 で、こういう厚みのある音楽をやらせるとやっぱり上手いのですね、カラヤンは。確かにここでもカラヤンは綺麗に整った音楽に仕上げています。ともすれば、より泥臭い音楽でもあるムソルグスキーの作品としては、綺麗過ぎるほど。「カラヤンの音楽は耳障りが良くて軽いだけ」なんて言われる所以でしょうか。
 でも、ちっとも軽くはないのです。綺麗に揃って、整っているから、そう感じられるだけで、本当は十分に厚いのです。揃っているから、重たさを実感させるような所が見えにくいだけ。第4幕の民衆の合唱など、もっと暴力的な方が、なんて思うのでしょうが、音楽は音楽としてきちんと演奏される方が、やっぱりいいんですよね。

 キャストは、スラヴ系の名前が並びますが、よく知っている名前は、ボリス役のニコライ・ギャウロフと、マリーナ役のガリーナ・ヴィシネフスカヤくらい。それに、ピーメン役のマルッティ・タルヴェラが。彼は確かフィンランド出身じゃなかったかと思うけど、この中に置くと異色に見えます。まぁ、後は大役はフョードルとグレゴリーくらいですが。オーケストラはウィーン・フィルなんだし、他に誰を持って来ることも出来るでしょうが、適材であればそれでよし、という、カラヤンらしい選択です。
 ウィーン・フィル。こういうオペラには合わなさそうなオーケストラですが、実はスラブ物は結構やってるようです。アバド時代には「ホヴァンシチーナ」もレパトリーに入れて録音してるし、来日公演では「ボリス」も持って来てるし(あれは面白かった!クライバーを諦めて観に行ったけど、未だに後悔無し!)。シュターツオパーの演目としては、常に入っている訳ではないんで、ちょっと惜しいなぁと思います。録音は1970年。

 久々に全曲通して聞きましたが、やっぱり第4幕が面白いなぁ。面白いと言うか、ドラマがあります。正直、音楽だけ聞いていると、場面間の関連が薄いこともあって、全体としては少々退屈する、というのが本音です。ハイ。舞台を見ながらだと、結構飽きないんですけどね。
 そこへいくと、第4幕はやっぱり「分かり易い」。苦しむ民衆、苦悩するボリス、愚直にボリスを告発する聖愚者。蠢動する貴族と、それと知らずボリスを糾弾するピーメン。ボリスの死。訳も分からず「新王」グレゴリーを熱烈歓迎する民衆と、永遠に終わることが無いとすら思われる聖愚者の嘆き。
 ちなみに、聖愚者の嘆きで終幕とするのはムソルグスキーのプラン。プーシキンの原作は、ボリスの死後、フョードルを抹殺した貴族達が、自分達の傀儡である僭称者グレゴリーを「先王の遺児・ディミトリーである!」と民衆に歓迎を強要するのに、民衆は沈黙を以て応える、という場面で終幕としています。民衆に共感を寄せるプーシキンにしてみれば、冒頭でボリスに喝采を「送らされる」民衆に、同じことをさせるに忍びなかったのでしょうが、ムソルグスキーの終幕は、より救い難く、でも恐らくは近代的なのでしょう。これはムソルグスキーの勝ちだろうな。




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