カラヤン/ベルリン・フィルのウェーベルン (2/16)

Schoenberg・Berg・Webern
(Webern : Passacaglia op.1 / Five Movements op.5 / Six Pieces for Orchestra op.6 / Symphony op.21)
 Berliner Philharmoniker
 Herbert von Karajan (conductor)
 Deutsche Grammphon 427 424-2

 今年は生誕100年ということで色々と企画物のCDが出ているカラヤンですが、正直、結構色々持ってしまっています。あれだけ色々録音した人だけあって、結構引っ張り出してみたらあらこれもカラヤン、みたいなことが意外とあります。

 これもその一つ。ちょっとウェーベルンでも聞こうか、と思って探したらこれがありました。この手の曲では、シノーポリがドレスデンと録音していたシリーズがあったので、そちらの方が新しいのではありますが、このカラヤン盤も古典的演奏で、かつ面白い。
 いわゆる新ウィーン楽派、シェーンベルク・ベルク・ウェーベルンの管弦楽曲を3枚に収めたものです。1972年から1974年にかけての録音。
 カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、やはり「いい演奏」であります。別の言い方をすると、らしくないんですね。不協和音を奏している筈なのに、何処か調和しているものを感じてしまう。新ウィーン楽派の音楽が元々持っていた筈の異形性みたいなものが、もう一つ出て来ないと言えば出て来ない。「音楽的」になってしまっているんですね。
 でも、本当は存外そういうものではないのかな、という気もしなくはないのです。妙に異形であることを強調するのも、本来は少しヘンではあるし。無調から12音技法へと駒を進めて行った人達ではありますが、マーラーに非常な親近感を持ち、更に遡ればバッハの作品を編曲するなど、全く既存の音楽と違う所から来た音楽という訳でもないのですから。

 今回聞いたのはウェーベルンの作品。ウェーベルンは、この3人の中でも最も先鋭的な音楽を書いた人かも知れません。若い頃の作品で「夏風の中で」というのがありますが、これなどは、せいぜいちょっと毛色が変わった程度の後期ロマン派の作品、といった感じです(それはそれで面白いのですが)。ところが、ここに収録されている「パッサカリア」では徐々に無調音楽の方へ進むと共に、奏法、表現が段々独特の風合いを帯びてきます。次第に、調性どころか旋律と呼べるものすら失われて行き、最後は作品の短さ以上に極端に音符の少ない、点描音楽と言いたくなるような作品になっていきます。この録音の最後に「交響曲」というのが収録されていますが、これなど、一体どのように「交響曲」になっているのやら?という作品。大体が、弦楽四重奏に、管4本とハープ、という編成ですから。

 でも、それはそれとして、確かに面白いんですよね。まとまった「音楽」を期待すると厳しいのですが。
 自分の場合、ウェーベルンあたりの音楽は、一種の「環境」「状況」を造り出すもの、というように受け取ってます。旋律とか、和声とか、そうしたものの連関を読み取ろうとすると、どうしても無理が来てしまう。そうではなくて、ウェーベルンが布石した音符達が造り出す「状況」に身を置いてみる、という聞き方をするようになってきました。やはり、理解するのが難しいと思うのです。というより、「理解する」という作業がそもそも不適切なんではないかな、と。シェーンベルク - 実はあまり好きではないのですが - やベルクの場合、「理解する」というのがまだ可能だと思うのですが、ウェーベルンは抽象度がやはりずっと高いような気がします。
 カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、それを承知で、抽象的なのはそのままに、そこで紡がれる音が、とても受け取り易いように演奏されているのだと思うのです。それをいい演奏と言っていいのか悪いのか、よく分かりませんが、取り敢えずはウェーベルンを聞く上で、この演奏は比較的取っ付き易いものではないかな、と思います。




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