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L.v.Beethoven

L.v.Beethoven : Folksong Settings
25Scottish Songs op.108 and others

 Dame Felicity Lott, Janice Watson, Catrin Wyn Davies (sopran)
 Ann Murray, Ruby Philogene, Sarah Walker (mezzo-sopran)
 John Mark Ainsley, Timothy Robinson, Toby Spence (tenor)
 Thomas Allen, Christopher Matman (bariton)
 Marieke Blankestijn, Elizabeth Layton, Krysia Osostowicz (violin)
 Ursula Smith (cello), Malcom Martineau (piano)
 Deutsche Grammophon 00289 477 5128
 
 第九の第4楽章は言わずと知れた「合唱付き」の楽章であります。シラー作の詩「自由に寄す」を底本にしたテキストが、独唱4部と合唱4部とで歌い上げられる、言わば小オラトリオです。

 西洋古典音楽の基礎の一つであるキリスト教音楽の源流は、まずは各種聖歌に求められるでしょう。特に影響が強いのは、やはり今で言うグレゴリオ聖歌でしょうが、その最初の頃の聖歌は基本的にユニゾンで歌われる単声部のものであったと言われます。つまり、ハーモニーが無かったし、同時に違う旋律が進行することもなかった。そもそも聖歌とは、初めに音楽があった訳ではなく、まず聖書を朗読することがあり、それが朗唱に変わった、と考えられているようです。
 これは、中世に於ける識字率と書物の普及率とに密接に関係します。平たく言えば、中世に於いては、聖書自体数が少なく見ることも大変な状況だったし、そもそも識字率が低くて読めないという状況でした。
 なので、聖書の言葉を誰かが読み聞かせるしかなかったし、それをある程度覚えさせるには、節を付けて読むのが好都合だった、と言う訳です。ただ叫ぶよりは朗誦する方がよく聞かせられたでしょうし。しかも、その言葉をきちんと聞かせる為には、出来る限り音楽的には単純である方が聞き取りやすいですから、単旋律であることは好都合だった訳です。
 ともあれ、音楽の基本の一つである歌というものが、言葉で綴られたものを伝えるという目的を有していたことは、恐らくは確かでしょう。

 では、第九の終楽章の「歌」というものは、どのような理由で「歌」になっているのでしょう?

 第九の終楽章の歌詞は、数度に渡って繰り返されています。それらは、まず独唱者のソロか2重唱、或いは合唱の単声部による歌唱で歌われ、それからより複雑な重唱で歌われます。つまり、聴衆は、まず何が歌われているかを聞き取ることが出来るのです。その後で、様々に歌われながら、あの合唱によるフーガが歌われますが、この部分ではどうしても各声部が重なり合うので、歌われている内容は聞き取りにくくなる。
 ドイツ語を十分に理解出来る人、例えばネイティヴのドイツ人であれば、そこで何が歌われているか最初に捉えることが出来るでしょう。但し、本来この曲はロンドンの演奏団体から委嘱された作品ですから、必ずしも歌詞を十全に捉えられたかどうかは分からないですが。
 ところで、ここで気付きませんか?「最初にはっきりそれと分かるように聞き取らせておいて、その後色々に違う形で歌って行く。」これ、要するに変奏曲なんです。つまり、ベートーヴェンはここで「歓喜の歌」というモティーフを使って変奏曲を書いたのです。あのフーガにしても、つまりはこの変奏曲の一部であるわけです。
 別に声楽で変奏曲を書いちゃいけないわけではないですが、やはり少し妙な気はします。大体が、第九の第4楽章の詞は、同じ詞の繰り返しが多いのです。同じ詞を手を変え品を変えて出してくる。なんと言うか.....つくづく「声楽的」じゃないんですよね。扱い方が器楽的なのです。いや、もう少しストレートに、「歌」として取り扱ってくれていない、と言う方がいいでしょうか。

 でも、ベートーヴェンが歌の取り扱いは駄目だったかというと、そうでもないのです。ここに挙げたのはベートーヴェンが編曲した「25のスコットランド民謡」op.108。あの最後の3つのピアノソナタの直前に位置しています。これらは、エディンバラ在住のトムソンなる人物の依頼によって書かれたもの。言わば、頼まれ仕事ではあります。それかあらぬか、あまり人気もなく大きく取り上げられることもありませんが、決してただのやっつけ仕事には終わっていません。この曲集ではヴァイオリン・ピアノ・チェロの三重奏が伴奏に付いていますが、これが、裏に回るわけではないけれど、決して出しゃばらず、うまい具合に歌の方を引き立てているのです。
 ベートーヴェンだってやりゃ出来るんです。それにも関わらず、やらなかった、歌を歌として扱わずに「器楽曲」として変奏曲形式で最終楽章を作った、というのがポイントなのでしょう。

 もうちょっと続きます。



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