L.v.Beethoven

L.v.Beethoven : The complete piano sonatas (including op.109, op.110, op.111) [Disk 10]
 Alfred Brendel (piano)
 PHILIPS 454 621-2

 変奏曲という形式は、いわゆる楽曲展開の方式としては基本中の基本、という話は前回書きました。言い換えると、最も原始的、ということでもあります。
 というのは、原理的に、変奏曲には構造が存在しにくいのです。勿論、構造を持たせられないとは限りません。ただ、例えばソナタ形式のように、主題があって、第2主題があって、一度提示されてから反復されて、というような、言葉で説明出来て、それによって時間軸を整理統合して説明する、ということがやりにくいのです。
 それでも、変奏のタイプ、種類を意図的にかつ周到に配置することで、変奏曲にも構造を持たせることが出来ない訳ではありません。しかし、それは、構造としては把握しにくいものでもあります。むしろ、端的な言い方をすれば、時間軸に対しては、殆ど統御する力を持たないのが多くの変奏曲の宿命です。

 そう、変奏曲は、時間軸を統御する構造を持たないのです。前回、「時間と共に移ろう景色の変化を眺めるようなもの」と喩えましたが、ここで鍵になるのは「時間と共に」ということです。形式と構造、という捉え方は、元々時間軸に支配されている音楽というものをいわば要約しようとする手段ですが、変奏曲というのはその手が効かないのです。
 むしろ、変奏曲を聞くには、先を急ぐにせよ何にせよ、淡々と歩を進める旅人のように、丹念にその道を辿っていくしかないのです。と言うよりは、作曲家達も、それを分かった上で、その道を辿っていくことに意味がある、辿っていくこと自体が楽しみである、そのように書いたのではないでしょうか。辿るのが旅人なのか、観察者なのか、そこまでは想像してはいなかっただろうけれど。

 私が、変奏曲に限らず、「音楽を知的に理解しようとする」態度に懐疑的なのは、「音楽とは時間軸に支配されるものである」という事実と齟齬を起こしかねないからです。というのも、大抵の場合、知的に、論理的に物事を理解しようということは、事物を論理的に整理・統合して要約しよう、ということだからです。音楽そのものを文学的にせよ言葉で表現しようとすることも、これに相通ずるものがあります。誠に、言葉で説明出来るなら音楽は要らない、のです。むしろ、論理で以て統御しようとしている時間そのものに、音楽の本質があるのかも知れないのですから。
 まして、ベートーヴェンが晩年に多用した、変奏曲の如きは、上述の通り、最も時間軸の軛を逃れられない、むしろ時間軸の軛を感じさせることが音楽としての重要なポイントであるかも知れない作品なのですから、本当はそのような「要約する論理」で括ることが一番相応しくないのではないかと思うのです。

 ベートーヴェンの最後のピアノソナタ、op.111 は2楽章構成で、その第2楽章が変奏曲となっています。
 ベートーヴェンが古典派と目される理由には、勿論時代的なこともありますが、実質的な点としてソナタ形式を用いた、器楽ソナタの数々や、弦楽四重奏曲、交響曲など、古典派によって完成されたとされる形式の楽曲が作品群の中心に据えられているということがあります。
 けれども同時に、ベートーヴェンの、特に後期の作品は、その古典派の形式の枠を超えようとする試みの足跡でもあります。2楽章構成のピアノソナタ、というのも形式の逸脱ですが、この変奏曲は更に異例。第1楽章との急-緩のコントラストはありますが、これではさすがに全体に構造らしきものも見出すのは難しい。
 しかも、この変奏曲はかなり自由な変奏です。規則性を持って、次はこういう変奏、次はそれを発展させて、或いは対比させて、というような、変奏のスタイルに秩序があるとは言えない。だから、構造で把握することは出来ない。書かれた音符を淡々と追体験していくしかないのです。旅人のように。
 けれども、その眼前に繰り広げられる景色と言ったら!
 ベートーヴェンの書いた景色は、決して派手なパノラマではありません。勿論、音楽として、相応のダイナミズムも持ってはいるけれど、基本はあくまで主題と変奏。昔からある、原始的な音楽の展開方法でしかありませんが、一歩一歩音楽に添って歩いていくことで見えてくる美があります。
 楽想記号のアリエッタ、小アリアの名の通りここで歌われているのが、ベートーヴェンの「歌」なのです。歌というものが、理論的に総括出来ない音楽であり、等身大の時間をかけて聞くことでしか結局はその姿が見えてこないように、ベートーヴェンも同様に時間をかけて辿ることでしか全貌が分からない変奏曲を用いて、自分の歌を歌ったのではないかと思うのです。

 本当に、ベートーヴェンの「歌」は素晴らしい。

 但し。ベートーヴェンは、確かに変奏にかけては天才的であるし、素晴らしい曲を書いてはいるのだけれど、彼が「歌う」時、メロディを書いて歌うのではなく、変奏という技巧を用いて歌ってしまうところに、ベートーヴェン特有の問題があるのも事実でしょう。例えばシューベルトであれば、そんな風に歌わずとも、歌曲を一つ書いてしまうと思うのです。それは、勿論それぞれの持ち味ということでしかないのだけれど、やはりベートーヴェンという作曲家の、特殊な病理とも言うべき状況があるのも事実でしょう。この変奏曲それ自体が如何に素晴らしいかということとは全く別に。





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