ベートーヴェン:弦楽四重奏 op.132 (4/26)

L.v.Beethoven : String Quartet No.15 A minor, op.132 / No.16 F major, op.135
 Prazak Quartet
 PRAGA DSD 350 013-7

 もう一度、ベートーヴェンの四重奏曲へ帰ってきました。

 シューベルトが、歌うことを本質的に内在していながら、様式というものを求めたとするならば、ベートーヴェンは、様式の確立とその解消までしてみせながら、自ら決して豊かではなかった歌を求めた作曲家、と言っていいと思います。歌わない訳ではないけれど、表現方法で歌おうとするのがベートーヴェン。
 けれど、ベートーヴェンはあくまで「構成と展開の作曲家」。理詰めで理解する余地があるように見えてしまう。そこに、言ってみればベートーヴェンの悲喜劇があるのではないでしょうか。その音楽が誤解されている、とまでは言わないけれど、結局はついついやってることが分析され解釈され、説明を試みられてしまう。それはやはり音楽としては少々いびつなアプローチです。

 確かに、仮にそうだとしても、「理解出来る/難解」という言い方が、これまで述べてきたような問題を孕んでいるのだ、というのは、強弁に過ぎると言われるかも知れません。いや、そもそもアプローチとして問題がある、という考え方自体間違っているかも知れません。
 けれども、やはり、「難解」という言い方が違和感無く受け容れられるというのは、何かがずれているのです。仮に、音楽がロジカルに理解可能なものだとしても、そのようなロジカルなアプローチが音楽を聞く為の最善の物だとはやはり思えないのです。それを象徴する言葉のように、「歌」という言い方をしてきました。それは何処か間違っているかも知れませんが、要は、ロジカルなアプローチは、仮に有り得ても、音楽を説明しきれるものではないだろう、ということです。

 op.132の第3楽章、ここから話を始めた訳ですが、やはりこの曲は理解する対象ではないように思います。丹念に付き合って聞いていく種類の音楽なのでしょう。
 最後に、プラジャーク四重奏団の演奏を引っ張り出してきました。ラ・フォル・ジュルネにも出演する、プラハの手練の四重奏団ですが、ここに聞く彼らの演奏は、そう言ってよければ、決して聞く側を理詰めで聞こうという気にさせないように思います。
 演奏スタイル、音色、技術、そうしたものが最善であるのか、正直私にも判りかねる部分はあるのですが、ここにはベートーヴェンなりの歌があります。それはとてもぎこちない物であるかも知れないけれど。だから、受け取りにくいものかも知れないけれど。「難解」というのは、言葉の適不適を抜きにすればこういうことなのかも知れません。
 そういうことを描き出すのに、この演奏は申し分無いと思いますし、15分ほどの時間を共に付き合ってみるか、という気にさせてもくれます。こういう演奏は、私は好きです。



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