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アクサントゥスのフォーレ「レクイエム」 (1/12)

G.Faure : Requiem op.48 / Cantique de Jean Racine op.11
 Sandrine Piau (soprano), Stephane Degout (bariton)
 Accentus
 Membres de l'orchestre national de france
 Laurence Equilbey (conduct)
 naive V 5137

 何故かレクイエム連発であります。

 アクサントゥス。一昨年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで圧倒的な美しさ(それでいて時に単純、時に複雑!)の合唱を聴かせてくれた合唱団ですが、この団体の新譜が昨年出ています。フォーレのレクイエム。フランス国立管のメンバーによる管弦楽、指揮はローレンス・エクィルベイ(でいいのかな?)。

 フォーレのレクイエムは大好きな曲の一つです。昨日取り上げたモーツァルトのそれよりよほど好き。音楽としての美しさが、フォーレの方がよりインパクトが大きいからだと思います。「フォーレの方がより美しい」と言っているのではありません。モーツァルトのレクイエムにある、宗教音楽としてのデモーニッシュなもの、或いは人ならざるものへの18世紀的なスタンスが、フォーレのレクイエムに見られるそれとは大きく違っている、ということです。
 フォーレの場合より直截的な美しさという形で顕われている、と言っていいのでしょうか。いや、そもそも、人ならざるものへのスタンスは、明らかにフォーレとモーツァルトとでは異なっています。この録音は1893年のオリジナル版、ということですが、言ってしまえばもう20世紀音楽とも言うべきフォーレのレクイエムに見られる神は、やはりモーツァルトのそれとは違っていると思います。やはりこの100年くらいの間の「近代」というもの、つまりは産業、技術、経済、社会、思想、そうしたものを通して得られる社会認識、その結果の宗教/神に対する認識の違いというのは大きいのだと思います。
 もしそうした言い方が許されるなら、モーツァルトには手の届かない超越した存在としての神が居るけれど、フォーレのそれには、手は届かないけれど限りなく近い所に神が居るような気がします。
 .........大風呂敷だな.......(苦笑)

 アクサントゥスの合唱は相変わらず素晴らしい。フォーレのレクイエムはこの数年で合唱や独唱を焦点としたいい録音が相次いでいますが、その中でもとびきりの一枚と言っていいと思います。一昨年にはコルボが指揮した新録音も出ましたが、合唱の美しさでは、やはりこのアクサントゥスがいいかなぁ。
 で、このアクサントゥスの合唱の美しさ、というのが、フォーレに合うのですね。この人達、いい意味で何処か世俗的なんだと思います。抹香臭く成り切らないというか。このCDの最後に、「ラシーヌ讃歌」が入っています。ラシーヌ讃歌自体は、確かに神を称える詩歌ではあるのですが、宗教曲という訳ではありません。世俗の音楽と言ってもいいのですが、聞いていて違和感がありません。アクサントゥスの演奏にはテンションに差が無い、ということではあるのですが、そのへんがフォーレに合ってると思わせる所以かな、などと思ったりするのであります。

 いやまぁ、そういう理屈は取り敢えず置いておいても、やはりフォーレのレクイエムはいいですね。この美しさに溺れてしまうのもありだな、と思うのでもあります。



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