ヴェルディ:リゴレット (1/29)

G.Verdi : Rigoletto
 Robert Merrill (bariton), Anna Moffo (soprano), Alfredo Kraus (tenor),
 Rosalind Elias (mezzo-soprano), Ezio Flagello (bass)
 RCA Italiana Opera Orchestra and Chorus
 Georg Solti (conduct)
 RCA/SONY-BMG 82876 70785 2

 悲劇というものは、プロットが悲惨であったり悲しいものであったりすれば悲劇になるわけではないそうです。悲劇の主役が嘆けばいいかというと、そうでもない。ポイントは、主役が事態に対し如何に振る舞うか、で決まるのだそうです。端的に言えば、事態に対し英雄として振る舞うことが悲劇の悲劇たる所以であるのだとか。ギリシャ悲劇に関する話だそうですが。
 でも、そういう面は確かにあるのであって、少なくとも19世紀までの物語というのはそういう定式が当て嵌まるかも知れません。悲劇の渦中にある人物が滑稽に、愚かに振る舞っていれば、如何に悲惨であっても悪趣味な喜劇にしかならないというものでしょう。

 リゴレットの場合も同様です。リゴレットに感情移入すれば、これは実に悲惨な物語ですが、見方を変えれば散々人を笑い者にすることで喰って来た人物が、自分が貶められて怒り狂い、理不尽にも復讐の為殺そうとして哀れ酷い目に遭う、とも言える。そんなリゴレットが悲劇たらんとする為には、リゴレットの振る舞いが悲劇として説得力のあるものでなければならない。オペラである以上、その振る舞いは歌唱に依存する訳です。例えば、第2幕の Cortigiani! これを「人間らしく」歌ってしまえば、悲劇は悲劇ではあるし、それは表現として優れたものにはなるけれど、劇としての「悲劇」、という面では中途半端になってしまう。説得力のある定式としての悲劇たらんとするならば、単に怒り、哀れを誘うだけではなく、それ以上の、言ってみれば様式的な歌唱としての英雄性を持っていなければならない。のです。本当は、ね。
 現代の歌唱は、そうした英雄性というものを維持出来なくなっている、と言っていいと思います。歌唱力の問題も勿論あるし、歌手自身の解釈もあるけれど、そうした英雄性に根ざした悲劇、というものが説得力を持たない、と考えられつつある面もあるのかと思います。最近の歌手で言えば、レオ・ヌッチあたりがその代表例でしょうか。ヌッチはこの20年くらいの所では評価の高いリゴレットだったと思いますが、悲劇性という面での様式感は殆ど持ち得なかったリゴレットでした。まぁ、ヌッチに限らず、ではあるのですが。

 久し振りにリゴレットを聞いています。1963年の録音。昔からあるもので、以前も聞いていたのですが、最近になってSONY/BMGで改めてリマスタリングされたのを入手したので。
 旧RCAの音源は、元々BMGグループの一部になっていたのが、BMGがSONYグループの一部になり、と、よくわかりません。まぁ、最終的に経営が安定して、音源も安定して出てくれればそれでいいんですが.....

 この録音での外題役はロバート・メリル。脇をアンナ・モッフォ(ジルダ)とアルフレード・クラウス(マントヴァ公)で固めていますが、まぁ、この録音の眼目はやはりメリル。メリルはこの録音以前にも、ビョルリンクらと、同じRCAで録音しています。当たり役だったのだろうと思います。
 実は、メリルの歌唱は、細部で微妙に違っている所があります。歌唱の最後の処理とか、あれ?と思う所が幾つか。にも拘らず、ここでのメリルの歌唱は、唯一無二の得難いものです。個人的には、バスティアニーニとかの方が好きですが、それとは別に、メリルの歌唱は将に「英雄的」なのです。
 まず、メリルの声。決して美声と言われる類いではないけれど、ロブストで重量感のある、弛むことの無い声。
 そして、その声に乗った、様式感を持ったしっかりした歌唱。実は、第2幕でのメリルは、かなり崩した表現で「演じて」いるのです。現れてから娘を捜し、あの扉の向こうにいるな!おのれ!そこを通せ!と、ここまでは大いに「演じる」のです。が、そこから、Cortigiani! に入ると、「演じない」のです。そこでは、歌唱が感情の爆発に優先する。感情の爆発は、音楽が演じてくれる。だから、メリルは、ひたすらに歌唱に集中するのです。最後のPieta!の一語まで。歌唱の中で、人殺しめ!と廷臣達に向かっていく所も、決して歌唱は崩れない。きちんとテンポを守り、一音も疎かにせずに歌い切る。後半に入ってのリタルダントも決して大袈裟にはしない。何より、メリルは「泣かない」のです。歌唱に泣きを入れない。
 今時の「人間らしい」リゴレットなら、感情を爆発させてわめき、叫び、テンポを暴れさせて「感情を表現」させるでしょう。泣きも入る。本当にマルッロを泣き落とそうとする。それでは、偉大な悲劇には結実しない。今のオペラ上演が昔のようでないのは、演出のせいではないのです。演出は後から来た。まず、歌唱が、音楽が崩れていった。演出が云々、というのは、その後の話なのです。
 メリルの歌唱は、オペラの歌唱が正統的で様式的であることが、本当の意味での音楽上の表現であり、悲劇を悲劇足らしめる要素なのだ、ということを体現しているのだと思います。

 率直に言うと、実は、モッフォはもう一つあってないように思うし、クラウスは堅い。とても遊び人には思えない。歌唱は悪くないとしても、ですが。やはりこの録音は、「メリルのリゴレット」。
 オーケストラはRCAイタリア・オペラ管。なんだそれは.... ローマ歌劇場管が契約の関係でそのような名前に、という話を聞いたこともありますが、まぁいずれにせよそれほどのものでは。それを上手くコントロールしているのが、若き日の?ショルティ、というところでしょうか。実際、ここでのショルティの指揮っぷりはお見事。歌唱を歌唱としてコントロールしながら、結構ショルティらしい快速・拙速振り(笑)を披露しています。言ってみれば、戦後のオペラの黄金期の残照を背負ったメリルと、クラウス、モッフォ、ショルティといった、「その後」の世代の音楽家との邂逅、といった所なのかも知れません。



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