リヒテルのソフィア・リサイタル (6/14)

ソフィア・リサイタル
ムソルグスキー:展覧会の絵
ラフマニノフ:前奏曲第23番嬰ト短調 op.32-12
シューベルト:楽興の時第1番ハ長調 D.780-1 / 即興曲第2番、第4番 D899-2,4
ショパン:練習曲第3番ホ長調 op.10-3 「別れの曲」
リスト:忘れられたワルツ第1番、第2番 S215-1,2 / 超絶技巧練習曲第5番、第11番 S139-5,11 「鬼火」、「夕べの調べ」
  スヴャトスラフ・リヒテル (piano)
 PHILIPS / ユニバーサル・クラシック UCCP-3495

 リヒテルの1958年のソフィア・リサイタル。昔から名盤の誉れ高く、既に20年くらい前からNo Noise Systemだったかでリマスターされた録音を聞いていたので、このディスクは2代目であります。
 このディスクも随分聞きました。なんだかんだ言って結構プアな録音ではあるのですが、やはり冒頭の「展覧会の絵」がインパクトが強かったのです。この録音をCDで入手した頃は、「展覧会の絵」ピアノ版、というと、有名どころの録音では、他にはホロヴィッツやアシュケナージくらいしか無かったんじゃないかと思います。
 今でこそ実演でもCDでも盛んに演奏され,録音されていますが、20年くらい前はそこまで人口に膾炙した曲ではなかったような気がします。いや、聞く側以上に演奏する側にとってそうだったんじゃないか、という気もするのですが。
 その頃だって決してマイナーな曲ではなかったと思うんですけど、ちょっとレパートリーとしては特殊と見られていたのかな、と。最近は若手ピアニストが出て来るとすぐリサイタルで弾いてたりするんですけどね。
 まぁ、そんなこともあって、リヒテルの録音は随分繰り返し聞いたものです。第1曲、プロムナードのミスタッチまですっかり記憶してしまいました。

 後から見ると、リヒテルのこの録音は、結構ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのリヒテルの演奏になっていて、実はリヒテルとしてはやや特殊なものなのかも知れません。シューベルトの「楽興の時」即興曲、ショパンの「別れの曲」なんかが入っているのでそんな気もしないのではありますが、1950年代のムソルグスキーは、今考える以上に技巧的な音楽と看做されていたんじゃないかと思うのです。まぁ、ソ連出身のリヒテルらにとっては、ムソルグスキーは自国の作曲家、ではあるので、その辺の事情はちょっと違うのかも知れませんが。
 ただ、後年の、沈潜して行くようなシューベルトのソナタの演奏などとはやはりちょっと違うかな、という気がします。

 しかし、久々に出して来て聞いたのですが、そうは言ってもやっぱりこのリヒテルも面白いです。演奏者としてのキャパシティの深さに裏打ちされた演奏、という感じですね。音楽というのは技巧だけではないけれど、技巧とかも含めた演奏力のある人の演奏は、やっぱり面白い、と思います。


テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

黒田恭一さん、逝く

  http://www.asahi.com/obituaries/update/0603/TKY200906030324.html

 音楽評論家の黒田恭一さんが亡くなられました。

 別館の方にちょっと書きました。

  http://plaza.rakuten.co.jp/verdi/diary/200906030000/

 その内、こちらでも、何か書こうと思います。

 あの方の文章は、とても好きでした。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

セル/クリーヴランド管のシューマン (5/31)

シューマン:交響曲第2番ハ長調 op.61 / 交響曲第4番ニ短調 op.120
  クリーヴランド管弦楽団
  ジョージ・セル (conduct)
 SONY CLASSICAL SRCR9858

 基本的に録音のいいものの方が好きなのですが、セル/クリーヴランド管の録音は、あまり良くはないけれど、昔から好んで聞いています。よくこのコンビの録音はバランスが悪いと盛んに言われますが、どうもピンと来ないんですよね。言いたいことは分かるんだけれど、安物でもそこそこ素性良く鳴るスピーカーを使うと、言うほど気にはならないと思うのです。まぁ、音質の悪さならハンパじゃないのをあれこれ聞いてますからね、こっちは.....

 で、シューマンの交響曲の2番を聞いています。
 正直、シューマンの交響曲はあまり得手ではありません。ある程度弾けちゃうオーケストラが表現豊かに演奏すると、もうそれだけでお腹一杯というか、もういいや、という感じになってくるのです。終楽章を聞く頃には「ところで最初はなんだったっけ?」みたいな感じで。
 これが、セルの手に掛かると、そういう感じではないのですね。
 たとえば、テンポ。第1楽章は、ソステヌート・アッサイの序奏からアレグロ・マ・ノン・トロッポへと変化して行くのですが、この変化が「速い」「速くなった」と感じさせないのです。勿論速くなってはいるのです。ただ、その速さがこれ見よがしではないのです。よくあるタイプは、速度が上がると同時に演奏自体も力が入ってしまって、演奏の質感自体がはっきり変わってしまうのです。聞く側からすれば、「ほら、ね、こっから速いんですよ~いやー参っちゃうよね~ほらほら、大変なんですよ~」とでも言うように聞こえる。
 この感じが、セル/クリーヴランド管には無い。いや、聞いていると,分かるんですが、演奏の質感ががらっと変わるようには聞こえない。それは楽章間でも同じで、全く等質ではないけれど、この曲全体を通して、このコンビの演奏は速度を大きくブレさせることはせず、それに応じて音の質感を変えてしまうこともない。いや、正確には、変わったりはするのですが、やむを得ずがらっと変わるのではない。統制が取れているのです。速度変化自体も、変化はあっても、同じアレグロががらっと変わってしまうのではなく、マ・ノン・トロッポとヴィヴァーチェとモルト・ヴィヴァーチェと、それぞれに過剰でない控え目な、けれど納得の行く変化を聞かせる。
 勿論、こういう所では質感が変わるのが自然だ、と考える向きもあるだろうし、むしろセル/クリーヴランド管のやり方をおかしいと見る見方もあるだろうけれど、やはりこの質感を維持しようとするやり方はある面好ましいと思うのです。それは速度についても同じで、違うのだからはっきり違えるべきと考える向きもあろうけれど、なのです。
 それと、細かい所だけれど、シューマンの作曲上問題と看做されるような所も自然に乗り越えてしまう。例えば、第2楽章の字余りで寸詰まってしまうような所も、このコンビは楽々と処理してしまう。考え方によっては、むしろこういう所で寸詰まってしまうのを、そのまま寸詰まり感をはっきり出すのがいいんだ、となるのでしょうが、セルはそうは考えない。きちんと処理する。音楽として整理する。

 セルの演奏を聞いていて思うのは、やはりこの人は音楽として「ちゃんとする」「整理する」ということに躊躇が無いのだと思うのです。自分なりの基準があって、その基準に照らして如何にあるべきかを打ち出してしまう。
 こういうやり方は、やはり流行らないのでしょう。巨匠的な恣意的な演奏、と言われてしまうのかも知れません。けれど、多分それは二重に違っていて、セルは、この音楽を整理してあるべき姿に整えただけ、なのでしょう。演奏行為とは、音楽を具現化するというのはそういうことなのだ、と言うと思うのです。そして、それは多分演奏家としての普通の行為だ、と思うだろう、という意味で、巨匠的ではないのだろうと思うのです。
 その「ちゃんとした音楽」というアプローチが、存外シューマンなどでは有効なんじゃないだろうか、と思ったりしているのですけれど、どんなもんでしょうね。

 録音は1960年。やはり古いけれど、この録音は比較的いいのではないのかな?このCD自体ももう15年くらい前のものです。結構古いな......勿論廃盤だと思いますが、国内盤か輸入盤か、現役盤はあると思います。
 4番の方は、取り敢えず今日はパス。2番を聞きたかったので、そこまで気が回ってません。ハイ。

テーマ : クラシック
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エンガディン谷の古楽 (5/30)

MUSICA VEGLIA in ENGADINA
Samedaner Lautenhandschrift von 1563 / Wiezel-Handschrift fuer Tasteninstrument von 1616 / Salis-Handschrift fuer Streichinstrumente von 1681 / Planta-Gitarrenhandschrift von 1804
  Maja Huenninger-Peter (Blockfloete, Traversfloete)
  Robert Grossmann (Laute, Theorbe, Gitarre)
 MUSIQUES SUISSES/MIGROS MGB CD 6220

 今日で元のdoblogはサービス終了だそうです。まぁ、無事に移れただけよしとしようか、と。
 で、そちらで以前「スイスのレーベル」という話を書いたことがあります。MIGROSというスーパーマーケットチェーンが出している,スイスの音楽を取り上げるレーベルなのですが、内容はスーパーの廉価販売なんかではなくて、至って大真面目に「スイスのクラシック音楽」をやっている。まぁ、ローカル色が漂うのも確かではありますが、観光おみやげ用のヨーデル集なんてのではありません。
 そういや余談ですが、スイスに行くとヨーデル集みたいなのは見掛けるんだけど、真面目にアルプホルンの演奏を集めたもの、なんてのはないんですよね。あれはなんでだろう......

 実はスイスは比較的よく行ってます。スイスにはなんといってもチューリッヒ歌劇場があります。ルツエルンの夏の音楽祭も、行ったのは一回だけだけど、ありますし、何よりアルプスのお山がある。本格登山はやらないけれど、「気軽にハイキング」がいきなり2千メートル以上から始まるのはこの国ならでは。
 その東南部に位置するのがエンガディン地方。イン川上流域の谷一帯を指し、北はオーストリア、東と南はイタリア。スイスの東側の盲腸みたいなとこです。著名な町にはサン・モリッツがあります。今や高級リゾート地域なのですが、昔は山中の鄙びた地域だったらしいです。歴史自体は紀元前に遡るらしいですが.....まぁ、はっきり言って「田舎」。でも、田舎だからといって音楽が無い訳ではないのでして。

 このエンガディン地方の古楽を集めたCDがMIGROSレーベル改めMUSIQUES SUISSESレーベルより出ております。相変わらずMIGROSのロゴも付いてますけどね。
 「エンガディン地方の古楽」と言っても、この地方に著名な作曲家がいた、というわけではありません。この地方のSamedanという町にある文書館に保管されている、この地域の有力な家族、まぁ豪商のようなものなのでしょうか、に伝わっていた楽譜を選んで、編曲演奏しているものです。時期は16世紀から19世紀初頭、音楽のタイプも、リュート曲、エンガディン地方の舞曲を鍵盤曲に仕立てたもの,四重奏のアンサンブル、と色々です。それを、フルート(ブロックフレーテとフラウト・トラヴェルソ)とリュート(リュート、テオルボ、ギター)の二重奏に編曲しています。
 まぁ、まずは、「こういう音楽をこの地方で当時演奏されていたんですよ」というのを取り敢えず知らしめる、という意味では、こんなところでしょう。あまり難しく考えずに、「こんなものだったのかな?」という感じで聞いて想像してみる、という感じかと。そもそも年代的にも大きくばらつきがありますし、イタリアあたりのリュート曲を思わせるものもあれば、ローカル色を感じさせる舞曲もありと、統一感もありません。いや、これは編曲されたものなのだし、むしろ「そのように聞こえる」ように編曲され,演奏されているのかも知れないし。その辺は分かりませんし,あまりオーセンティック性を考えるより、のほほんと楽しむのがいいように思います。
 ちなみに、演奏者は、フルートの方はバーゼル出身、リュートの方はスイス系アメリカ人。だからどうだという訳じゃないですが、別に地元に伝わる伝統芸能を披露しているわけじゃないんだし、ねぇ。「まず聞いて面白いかどうか」てなところなんだと思います。まぁ、そんな気軽に手に取れるという種類のものでもないんだけれどね........ 大体が、日本じゃ殆ど見掛けないし.......



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ラーンキのシューベルト (5/24)

F.シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D.960
          即興曲 op.90 D.899 第2番 変ホ長調 / 第3番 変ト長調

  デジュ・ラーンキ (piano)
 DENON/コロンビア COCO-70929

 デジュ・ラーンキ。かつてはコチシュ、シフとハンガリー三羽烏なんて呼ばれてたそうで、最近ではラ・フォル・ジュルネにも来たりしてます。まぁ、正直,シフほどの注目度ではないなぁ。ラ・フォル・ジュルネでちょっと聞きましたが、悪くないんですけどね。
 そのラーンキが30年以上前、まだ20代の頃にDENONに入れた録音があります。シューベルト・アルバムみたいなものなんですが、これが、意外と面白いんですよ。1975年、東京、中央会館での録音。中央会館って、初めて知ったのですが、新富町に今でもあるんですね。中央区の施設で,中央会館。なるほど。

 曲目は、ピアノ・ソナタ第21番に、D899の方の即興曲の2,3曲目という組み合わせ。即興曲の方は言ってみればアンコール的な位置付けでしょうか。
 ソナタは、第1楽章の繰り返しを省いた演奏。で、このラーンキの演奏,なんというか、元気がいいというか.......... こちらの思い込みが強過ぎるせいでもあるでしょうが、このソナタ、どうしても沈潜するように聞いてしまうのですね。居住まいを正して、シューベルトの深淵を聞く、というような。
 で、ラーンキ。若き日のラーンキの演奏も、そういう瞬間が無いわけではないんですが、ちょっと傾向が違う。何処となく軽やかというか。それが顕著に出るのが、第2楽章。この楽章、第1楽章よりも更に深くふかーく沈潜するような音楽として弾かれる事が多いのではと思います。ちなみに第1楽章の速度記号はモルト・モデラート、第2楽章はアンダンテ・ソステヌート。で、この第2楽章はABAの形になっていて、通常はやや速めになるにせよ、概ね同じような調子で行くのが一般的なのですが、ラーンキはここを軽やか、とまでは言わないけれど、駆けるように弾き切ってしまうのです。アンダンテがソステヌートしない(笑)
 いや、速度の問題だけでなく、重荷を背負うが如くには行かないんですね。そういう意味では、一貫して、ラーンキの演奏には重苦しい感じがあまりないのです。速度の問題で言うなら、ポリーニの演奏があって、あれは本当に駆け去ってしまうような演奏でありながら、シューベルトの深淵(なんじゃそりゃ、と我ながら思ってしまうけれど)がばっくりと口を開いている。
 ラーンキのシューベルトは、そうではないんですね。必要以上に重くしない。デモーニッシュなシューベルトではあるんだけれど、デモーニッシュなだけではない、と感じさせる演奏です。

 即興曲の選曲も、そういえば、必要以上にドラマチックな選択ではありません。確かに「アンコール・ピース」という観点からすれば自然な選択ではあるんですが、この2曲はいずれもソナタの演奏の延長線上にあります。抒情的、リリカル?それもあるけれど、同時に、このシューベルトはピアニスティックでもあります。確かに、この演奏には、ピアノという楽器を聞く、という面があるのかも知れません。
 この曲でそういうピアニズムを見てしまうというのも異論はあるかも知れませんが、確かにシューベルトのソナタは「ピアノの曲」なのだし、ピアノ曲のみならず歌曲でもあれほどに多彩な音色を駆使したシューベルトが、「ピアノの曲」で「ピアノを聞かせる」ことを拒絶したとも思えないのです。
 今のラーンキに弾かせると、こんな風には弾かないのかも知れません。けれど、若き気鋭のピアニストの演奏の記録としてだけでなく、確かにこの演奏は今聞いてもなかなか面白いのです。


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