コープマンのハイドン交響曲 (6/27)

F.J.ハイドン:交響曲第44番 ホ短調 Hob.I : 44 <哀悼> / 第45番 嬰ヘ短調 Hob.I : 45 <告別> / 第49番 ヘ短調 Hob.I : 49 <受難>
  アムステルダム・バロック管弦楽団
  トン・コープマン (conduct)
 ERATO / ワーナーミュージック WPCS-11111


 3月に、トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック・アンサンブルの公演を聞きに行きました。で、なかなか面白い演奏だったので、終演後によくある「CD購入者にサイン会」というのに並ぼうかな、と珍しく思ってしまったのでした。
 でも、結構持ってたりするんですよね、コープマンの演奏って。持ってないのは何か無いか.....と色々見ていて、「おお、これ持ってないし」と思って買ったのが、このCDだったのであります。故に、このCDのジャケットにはコープマンのおざなりな雰囲気がなくもないサインが(笑)

 1766年から1773年くらいまでのハイドンの作風を称して「疾風怒濤期」というのだそうです。まぁ、この呼び名の元になった文芸上の思潮などからして、あまりそう呼ぶには適当でないらしいのですが、そもそも「そういう呼び名があるのね~」てなもんなので、なんとも言い様がないのでして(笑)
 その時期に当たる交響曲3曲を選んで収録しているのがこのCDです。その名も「哀悼」「告別」「受難」。例によって、一つとしてハイドン自身が付けた名称は無いそうです。

 今年はハイドン・イヤーということで、ハイドンの曲を聞く機会も多く、交響曲も色々聞いていますが、ハイドンって、本当に弦五部さえきちっと聞ければ、ちゃんと聞けてしまうのが面白いというか凄いというか。
 ライナーノートによると、この録音では、総勢16人で演奏しているとか。弦五部は3-3-2-1-1だそうで、かなりタイトな編成です。確かに言われてみるとバロックの古楽演奏みたいな響きでもあって、なるほどとは思うんですが、その割に違和感はありません。確かにハイドンの比較的若い頃の作品でもあるし、ということもあるでしょうけれど、まずはアムステルダム・バロック・アンサンブルの演奏が充実した響きを聞かせるから、というのが大きいと思います。しっかり聞かせてくれるので、小編成でも十分音楽を聞かせてくれる、といった所だと思うのです。
 きちんと演奏されれば、編成に関わらずハイドンの交響曲は十分聞ける、の所以であります。まぁ、録音で聞いているから、というのもあるとは思いますが、ちゃんと聞こえるべき声部が聞こえれば違和感はない、というような。むしろ、このタイトな感じは聞く側を程良く集中させてくれます。いや、タイトではあるけれど、決して痩せた音ではありません。小編成なりに豊かな響きがある。
 本来、いわゆる古楽演奏というのは私はあまり好きではないのですが、それも結局は演奏方法とその中身の問題。きちんと聞かせてくれれば否やはないのであります。

 しかし、ハイドン・イヤーとして鳴り物入りで始まった今年ですが、半ばにしてちょっと失速気味というか、あまり注目度が上がらないようですね。この交響曲集など聞いていると、典雅な趣の中にも変化があって、結構面白いと思うのだけれど、やはり身振りの大きい大曲の方に目が行ってしまうのでしょうか。「ハイドンの交響曲=ザロモン・セット」みたいになってしまっているのもあるのかな。「初めてハイドンを聞きます」というような人だったら、むしろこの辺の曲の方がいいんじゃないかと思うんですけどね。ザロモン・セットを聞いていると、ついつい「モーツァルトでもいいや」「ベートーヴェンの方がいいや」「ロマン派の方がダイナミック」みたいになってしまうような気もしないでもないし。


テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

リヒテルのソフィア・リサイタル (6/14)

ソフィア・リサイタル
ムソルグスキー:展覧会の絵
ラフマニノフ:前奏曲第23番嬰ト短調 op.32-12
シューベルト:楽興の時第1番ハ長調 D.780-1 / 即興曲第2番、第4番 D899-2,4
ショパン:練習曲第3番ホ長調 op.10-3 「別れの曲」
リスト:忘れられたワルツ第1番、第2番 S215-1,2 / 超絶技巧練習曲第5番、第11番 S139-5,11 「鬼火」、「夕べの調べ」
  スヴャトスラフ・リヒテル (piano)
 PHILIPS / ユニバーサル・クラシック UCCP-3495

 リヒテルの1958年のソフィア・リサイタル。昔から名盤の誉れ高く、既に20年くらい前からNo Noise Systemだったかでリマスターされた録音を聞いていたので、このディスクは2代目であります。
 このディスクも随分聞きました。なんだかんだ言って結構プアな録音ではあるのですが、やはり冒頭の「展覧会の絵」がインパクトが強かったのです。この録音をCDで入手した頃は、「展覧会の絵」ピアノ版、というと、有名どころの録音では、他にはホロヴィッツやアシュケナージくらいしか無かったんじゃないかと思います。
 今でこそ実演でもCDでも盛んに演奏され,録音されていますが、20年くらい前はそこまで人口に膾炙した曲ではなかったような気がします。いや、聞く側以上に演奏する側にとってそうだったんじゃないか、という気もするのですが。
 その頃だって決してマイナーな曲ではなかったと思うんですけど、ちょっとレパートリーとしては特殊と見られていたのかな、と。最近は若手ピアニストが出て来るとすぐリサイタルで弾いてたりするんですけどね。
 まぁ、そんなこともあって、リヒテルの録音は随分繰り返し聞いたものです。第1曲、プロムナードのミスタッチまですっかり記憶してしまいました。

 後から見ると、リヒテルのこの録音は、結構ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのリヒテルの演奏になっていて、実はリヒテルとしてはやや特殊なものなのかも知れません。シューベルトの「楽興の時」即興曲、ショパンの「別れの曲」なんかが入っているのでそんな気もしないのではありますが、1950年代のムソルグスキーは、今考える以上に技巧的な音楽と看做されていたんじゃないかと思うのです。まぁ、ソ連出身のリヒテルらにとっては、ムソルグスキーは自国の作曲家、ではあるので、その辺の事情はちょっと違うのかも知れませんが。
 ただ、後年の、沈潜して行くようなシューベルトのソナタの演奏などとはやはりちょっと違うかな、という気がします。

 しかし、久々に出して来て聞いたのですが、そうは言ってもやっぱりこのリヒテルも面白いです。演奏者としてのキャパシティの深さに裏打ちされた演奏、という感じですね。音楽というのは技巧だけではないけれど、技巧とかも含めた演奏力のある人の演奏は、やっぱり面白い、と思います。


テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

黒田恭一さん、逝く

  http://www.asahi.com/obituaries/update/0603/TKY200906030324.html

 音楽評論家の黒田恭一さんが亡くなられました。

 別館の方にちょっと書きました。

  http://plaza.rakuten.co.jp/verdi/diary/200906030000/

 その内、こちらでも、何か書こうと思います。

 あの方の文章は、とても好きでした。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

ホセ・カレーラスと愉快な仲間たち(?) (6/2)

Jose Carreras with his Friends
(Mattinata, "Seguidilla" -Carmen, "O mio babino caro" - Gianni Schicchi, Mephistopheles' Serenade - Faust, Duet - Cavalleria Rusticana, etc.)
  Katia Ricciarelli (soprano), Agnes Baltsa (mezzo-soprano),
  Jose Carreras (tenor), Ruggero Raimondi (bass)
  Orchestra London Arts
  Jacques Delacote (conduct)
 Azzuramusic TBP11148

 こないだ、某所のセール箱を眺めていたら、こんな怪しげなのを見つけてきました。まぁ、歌ってるのは知った名前だし、投げ売りで安くなってるし、どんなコンピレーション物だろうか、と思いながら拾って来たのですが、いや、これがまぁなんというか、懐かしいというか.......
 1991年、ロンドンでのライブ録音なのだそうですが、正直,今までノーマーク。今から18年前ですから、カレーラスが復活して結構いい感じの時期です。共演が、ソプラノにカーティア・リッチャレッリ、メゾにアグネス・バルツァ、バスにルッジェロ・ライモンディ。要するに、1991年頃のある意味最強キャストなのです。特にカレーラス=バルツァは1980年代から1990年代の最強コンビ。この二人がカヴァレリア・ルスティカーナの二重唱を歌っているのを聞くと、思わず熱くなってしまうのであります。

 ついつい「昔は良かった」みたいな話になりそうなのですが、やはり、クラシック音楽にも流行というのはあるのでして、それもまた時代と人材で決まるのだと思うのです。今は、ロッシーニルネッサンスなどと言われて、ロッシーニの、昔なら知られざると言われそうなオペラが蘇演されたり、バロック・オペラが盛んに上演されたりするけれど、そうなった背景には、勿論バルトリやシラグーザのような「適材」が出てきたこともあるけれど、もう一方では、オペラ自体が昔ながらのヴェルディ以降のイタリア系中心のロマンティック・オペラだけでは保たなくなっている、そういうオペラだけやっていれば人が惹き付けられるような強力な歌手が減った、というのはあると思うのです。
 今でこそオペラは演出の時代などと言われて、盛んにオペラを解釈することが流行ってはいるけれど、私自身もそんな風に観ているけれど、3大テノールが今居たなら、どうなっていたろうか、とも思うのです。
 いや、むしろ、3大テノールが「居た」から、今があるのかも知れません。端的に言えば、もう「そういうの」に飽きてしまったのかも。例えば毀誉褒貶激しいアラーニャだって、結構いいんですよ、実際に聞けば。
 一方で,3大テノールが居たから、それに呼応するように他の人材も出て来たのかも知れません。ここで歌っているリッチャレッリやバルツァ,ライモンディだって、いわば重量級のキャスティングの中でこそ映える人達だったと言えるのだろうし。
 こういう話はし始めるときりがないので、このへんにしておこうとは思いますが........

 それにしても、これを生で聞いてたら面白かったろうなぁ、とつくづく思うのであります。録音はあまり良くないけれど、そういうのはまぁどうでもいいや、と。
 勿論、聞く側の思い入れが多分に入っているのは間違いありません。4人とも、オペラにのめり込んで行った頃からその後にかけて折に触れて聞いて来た歌手なので、某かの思い入れはあるのです。
 とはいうものの、それを抜きにしても、やはりこの人達、凄い。この中で一番の聞き物は、やはり「カヴァレリア・ルスティカーナ」の2重唱ですが、それに負けず劣らずなのがルジェロ・ライモンディの歌う、グノーの「ファウスト」から"メフィストフェレスのセレナーデ"。ライモンディ,決して録音に恵まれないわけではないけれど、アリア集みたいなものはあまりありません。その中にあってこのライモンディは、声が曲に合っていて、しかも調子も良かったようで、ライモンディとしても、この歌の録音としても、かなりいいと思います。後で、トスティの「最後の歌」も歌っているのだけれど、これも良く合っていて......
 バルツァは、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の2重唱の他に、「ママも知る通り」を歌っていて、これが結構飛ばしてます。ただ、良し悪しというか、このCDでの楽しみで言えば、むしろ「アルジェのイタリア女」からライモンディと2重唱で歌っている方が面白いかも。一番影が薄いのは、或いはリッチャレッリ?いやいや、「ワリー」のアリアを歌ってますが、これがなかなか。
 .................ひょっとしてカレーラスが一番影が薄いのか?いやそんなことはないのだけど、と思わせるくらいのゴージャスさ加減なのです。歌手も、曲目も。今だったら、どんな4人で聞いたらこんな感じなのかな、と考えてしまうのであります。



テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : カレーラス

セル/クリーヴランド管のシューマン (5/31)

シューマン:交響曲第2番ハ長調 op.61 / 交響曲第4番ニ短調 op.120
  クリーヴランド管弦楽団
  ジョージ・セル (conduct)
 SONY CLASSICAL SRCR9858

 基本的に録音のいいものの方が好きなのですが、セル/クリーヴランド管の録音は、あまり良くはないけれど、昔から好んで聞いています。よくこのコンビの録音はバランスが悪いと盛んに言われますが、どうもピンと来ないんですよね。言いたいことは分かるんだけれど、安物でもそこそこ素性良く鳴るスピーカーを使うと、言うほど気にはならないと思うのです。まぁ、音質の悪さならハンパじゃないのをあれこれ聞いてますからね、こっちは.....

 で、シューマンの交響曲の2番を聞いています。
 正直、シューマンの交響曲はあまり得手ではありません。ある程度弾けちゃうオーケストラが表現豊かに演奏すると、もうそれだけでお腹一杯というか、もういいや、という感じになってくるのです。終楽章を聞く頃には「ところで最初はなんだったっけ?」みたいな感じで。
 これが、セルの手に掛かると、そういう感じではないのですね。
 たとえば、テンポ。第1楽章は、ソステヌート・アッサイの序奏からアレグロ・マ・ノン・トロッポへと変化して行くのですが、この変化が「速い」「速くなった」と感じさせないのです。勿論速くなってはいるのです。ただ、その速さがこれ見よがしではないのです。よくあるタイプは、速度が上がると同時に演奏自体も力が入ってしまって、演奏の質感自体がはっきり変わってしまうのです。聞く側からすれば、「ほら、ね、こっから速いんですよ~いやー参っちゃうよね~ほらほら、大変なんですよ~」とでも言うように聞こえる。
 この感じが、セル/クリーヴランド管には無い。いや、聞いていると,分かるんですが、演奏の質感ががらっと変わるようには聞こえない。それは楽章間でも同じで、全く等質ではないけれど、この曲全体を通して、このコンビの演奏は速度を大きくブレさせることはせず、それに応じて音の質感を変えてしまうこともない。いや、正確には、変わったりはするのですが、やむを得ずがらっと変わるのではない。統制が取れているのです。速度変化自体も、変化はあっても、同じアレグロががらっと変わってしまうのではなく、マ・ノン・トロッポとヴィヴァーチェとモルト・ヴィヴァーチェと、それぞれに過剰でない控え目な、けれど納得の行く変化を聞かせる。
 勿論、こういう所では質感が変わるのが自然だ、と考える向きもあるだろうし、むしろセル/クリーヴランド管のやり方をおかしいと見る見方もあるだろうけれど、やはりこの質感を維持しようとするやり方はある面好ましいと思うのです。それは速度についても同じで、違うのだからはっきり違えるべきと考える向きもあろうけれど、なのです。
 それと、細かい所だけれど、シューマンの作曲上問題と看做されるような所も自然に乗り越えてしまう。例えば、第2楽章の字余りで寸詰まってしまうような所も、このコンビは楽々と処理してしまう。考え方によっては、むしろこういう所で寸詰まってしまうのを、そのまま寸詰まり感をはっきり出すのがいいんだ、となるのでしょうが、セルはそうは考えない。きちんと処理する。音楽として整理する。

 セルの演奏を聞いていて思うのは、やはりこの人は音楽として「ちゃんとする」「整理する」ということに躊躇が無いのだと思うのです。自分なりの基準があって、その基準に照らして如何にあるべきかを打ち出してしまう。
 こういうやり方は、やはり流行らないのでしょう。巨匠的な恣意的な演奏、と言われてしまうのかも知れません。けれど、多分それは二重に違っていて、セルは、この音楽を整理してあるべき姿に整えただけ、なのでしょう。演奏行為とは、音楽を具現化するというのはそういうことなのだ、と言うと思うのです。そして、それは多分演奏家としての普通の行為だ、と思うだろう、という意味で、巨匠的ではないのだろうと思うのです。
 その「ちゃんとした音楽」というアプローチが、存外シューマンなどでは有効なんじゃないだろうか、と思ったりしているのですけれど、どんなもんでしょうね。

 録音は1960年。やはり古いけれど、この録音は比較的いいのではないのかな?このCD自体ももう15年くらい前のものです。結構古いな......勿論廃盤だと思いますが、国内盤か輸入盤か、現役盤はあると思います。
 4番の方は、取り敢えず今日はパス。2番を聞きたかったので、そこまで気が回ってません。ハイ。

テーマ : クラシック
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